Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

日本の「手芸」はいつ牙を抜かれたのか?


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 刺繍に焦点をあて、欧米における「テキスタイル」の意味の変遷を社会的・文化的に紹介した記事。とても興味深く、共感できる点が多いが、日本のいわゆる「手芸」はこのような社会的評価からはかなり離れた文脈に置かれているように思う。

 

 私がわかるのは編み物だけなので、ここではその分野に限定する。2019年の2月頃から編み物のSNSでは人種差別に関する発言が活発に見られるようになった。これはオーストリアでBIPOCのクリエイターが白人に差別的扱いを受けたという告発に始まったもので、白人女性が優越的な立場で文化としての編み物を独占し、それ以外の女性たちの関与を認めず、排他的言動・行動を取っているという投稿が相次いでいる(例えば、白人以外のフォロワーをSNSでブロックする、You Tubeに差別的動画をアップする、地域の毛糸屋に行っても白人以外は相手にされない、など)。これは国際的で核となる組織がない運動のため、このような差別にどう対処するべきか、まだ結論は出ていない。まずは白人以外の経験、文化について積極的に知ろうと気運がようやく芽生えてきたところだ。

 その中でニッター以外の人が目にする規模で報道されたのは、白人至上主義を助長するとしてドナルド・トランプ支援の運動をネットワーク内で禁止したRaverlyの2019年6月23日付の声明だろう。Raverlyはアメリカで創設された編み物専門では最大のSNSで、他のニッターとコミュニケーションを取るのに便利なだけではなく、棒針編みからかぎ針編みまでのデザイン、糸、道具まであらゆる情報が集まっている。トランプ就任直後に行われた反対デモでピンクのニット帽をかぶった女性たちが多く集まったことは日本でも報道されたが、この帽子の編み方を無料で配布し、デモの情報を発信していたのがRaverlyだった。

 このような反人種差別の運動やRaverlyの声明に対し、日本のニッターの反応は比較的薄かった。英語中心の発信だったために語学的なハンディが生じたことに加え、「趣味の領域に政治を持ち込んでほしくない」と記す人が多かったのが印象的だった。政治は生活のあらゆる部分に関わっているのに、なぜ編み物はそこから切り離せるのか、私がはっきりと疑問をもつようになったのはこの時からだ。

 

 私は1980年代に母親から習って編み物を始め、2001年まで続けていた。2015年まで一時離れていたが、再び編み物を始めてから既製品のニットはほとんど買わない。一度編むのをやめたのは「編み物本・雑誌のデザインで着たいものがなかったから」で、再開したのは「店で売っているニットに買いたいものがなく、自分で編む方がいいから」だ。このように、私が編む動機は「自分で編めば他人に左右されず、好きなものが着られる」という自己決定権の行使にある。

 

 …ハイストリートで買い物するようになる前は、女は服を自作したり、ドレスメーカーに行って作ってもらったりしてた。そうすれば自分の着るあらゆるものが自分が誰なのかについての正直な表明になり、居心地もよく過ごせる。まあともかく、時代ごとに流行による制約はあったけど。

 でも、庶民向けの大量生産ファッションが登場すると、どの衣料アイテムも買う女の「ために」作られてるってわけじゃなくなった。トップショップやザラやマンゴやアーバン・アウトフィッターズやネクストやピーコックやニュー・ルックで見かけるあらゆるものは、ぜんぶ想像上の女、つまりデザイナーの頭の中のアイディアのために作られてる。まあだいたい、七十パーセントくらいの度合いで気に入ったらそれを買うわけだ。ほぼそれが限界だ。皆無とは言わないにしても、百パーセント「自分」だって言えるもの、本当に欲しいものはめったにない。…

キャトリン・モラン(北村紗衣訳)『女になる方法:ロックンロールな13歳のフェミニスト成長期』青土社、2018年、222~223頁。

  

自分で作る場合、それなりの技量は必要になるが、このように70%くらい気に入った服に金を使う必然性は低くなる。これは、自分が何を着るのか他人に決めさせない、という政治的意味も含む。編み手の個性はデザイン、糸の選び方、編む際のアレンジに現れるし、差別的発言をするクリエイターの作品を購入しないことで自分の意見を表明することもできる。そして最終的に編み上がったものが気に入らなければ、解いて別のものに編み直してもいい。

 

 このように編み物の再開で私が得た選択肢は大きかった。中断を挟んで「編む」ことが単なる趣味から日常生活で役立つ実践的技術へ、その意味が完全に変わった。これをもたらしたのは、インターネットの発展による海外の編み物文化との接触である。日本以外の編み物に触れて驚いたことをいくつか列挙すると

  • 編み方が文章で書かれている。(日本は編み図と呼ばれる独特の図式で編み方を表す。文章・図式どちらも読み解くには一定の知識が必要)
  • 複数のサイズ展開がある。日本の本だとサイズ展開がないので、だいたいMサイズの人しか着られないものになるか、ゆったりめのシルエットが多くなる。自分のサイズに合わせる場合は製図の知識が必要になり、特別に勉強した人以外はほぼ不可能
  • デザイナーが使用した以外のブランド、素材、太さの糸を使うのは当然(もちろんデザインによって向き不向きはあり、いくつかの糸が推奨されることも多い。また、ゲージを取って確認する作業も必要。その際には編みあがりのサイズを確認するため、例えば10x10cmの中に何目x何段の編み目があるかを測る。これが指定の数字と同じか近い糸ならばそのまま編めるし、数字が離れていればサイズや針を調整して調整をする)。日本だと毛糸製造メーカーとデザインの結びつきが強いため、デザインと指定糸がセットで示される(つまり、ゲージ情報がない)。そのためによほど糸に関する知識がない限り別の糸で置き換えるのは不可能となり、糸が廃番になれば前シーズンの本の作品を編むこともできない
  • 編み手の裁量が大きい。もともとの指示に「〜を変更する場合はここで・・・の作業をする」と書かれる場合もあり、デザイナー自身がアレンジを前提としている
  • 編み地がシンプル。この代表が「メリヤス砂漠」と呼ばれる全てが表編みの編み地の作品だが、装飾がある場合も色の切り替えや部分的な模様編みが多い。日本のデザインは夏はレース編み、冬はアラン模様か編み込みがメインとなり、全面が模様で埋め尽くされがちだ
  • シームレスのデザインが多い。これはアメリカで活躍したカリスマニッター、エリザベス・ジマーマン(1919~1999年)の功績によるもので、編み目の増減を分散して製図するための定式を確立し、とじはぎなしに簡単にセーターが編めるようになった。型崩れしやすいという欠点があるが、完成前に試着可能であり、自分の好みに合わせたアレンジがしやすい。とじはぎがあると形はきれいに保たれるが、とにかく手間がかかるし、糸始末も大変だ

 

 こうして比べると、編み物文化にはかなりの違いがある。日本の中でもすでに、ずっと日本のデザインを編んできたタイプと、私のようにRaverlyを中心に編み物をするタイプの間で違いが生じている。これが明確になったのは、編み物専門雑誌『毛糸だま』2016年秋号No. 171の「10年セーター」特集だ。10年後も着ていられるセーターをいい糸を使ってシンプルなデザインで編もうというコンセプトで、「これなら着られる」と歓迎する声があった一方、「簡単すぎて編む気にならない」という否定的意見もあった。着るため、使うものを作るために編むのではないのか・・・

 

 このような「趣味」として編み物はいつから囲い込まれたのか。明確なことは現時点では不明で、現在読むことができた文献はこれのみ。

山崎明子「明治国家における女性役割と『手芸』」若桑みどり編、千葉大学社会文化科学研究科研究プロジェクト報告書第1集『女性の技芸と労働をめぐる性差構造:特に「紡ぐ女・織る女」のイメージとその意味について』、1998年、1~15頁。

明治時代に手芸が家庭に生きる女性の人格形成の一環として政府に奨励されたことを指摘している。つまり、手芸は作る過程自体が人格の陶冶であり、完成品の価値は相対的に重要ではなくなる。

 例えば、中世ヨーロッパではベギンや修道女といった女性たちは高度な技術を駆使してレース編みなどの作品を作り、売って生計を立てた。しかし、日本だとこのような報酬獲得は少なかったはずだ。家父長制度下の女性にとって、できあがったものに高い価値をつけたり売ったりすることは、家庭から離れることを意味し、謙遜を旨とする社会で肯定的評価を受けることもなかっただろう。このような発想は、手芸品の経済的価値を低く見る現在の価値観の底流とみなせる。

 少なくとも明治以降の「手芸」と呼ばれる領域では、これらの技術が女性の自己実現や自己決定権のために貢献する機会は極めて少なかったと考えられる。