Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

【文献紹介】神野由紀・辻泉・飯田豊編著『趣味とジェンダー:<手づくり>と<自作>の近代』

 神野由紀・辻泉・飯田豊編著『趣味とジェンダー:<手づくり>と<自作>の近代』青弓社、2019年を読んだので簡単なメモ。

 

趣味とジェンダー 〈手づくり〉と〈自作〉の近代

趣味とジェンダー 〈手づくり〉と〈自作〉の近代

 

 

 趣味で女性による創作を「手づくり」、男性によるものを「自作」とし、子供向けの雑誌がこれをどのように提示したかを読み解くことで、現代日本社会に根付く趣味の性別による分化が家父長制に発するジェンダー観を土台に発展してきたことをあきらかにする。

 第1部「家庭生活に役立つ<手づくり>」では「ジュニアそれいゆ」を史料に少女の手芸について、第2部「<自作>する少年共同体」では少年による工作について、第3部「<手づくり>と<自作>の境界を揺さぶる趣味の実践」では異なるジェンダーの趣味に参入する試みとそれぞれの結果を描く。

 

 第2部の工作については知識がまったくなかったので、驚きの連続だった。工作は社会的に有益な趣味とされ、戦時中は飛行機や艦船などの人気が高かったが、逆に戦後は軍事色が否定されたために鉄道模型のみが生き残ったという経緯が意外だった。

 男子の趣味は実用性で評価が決まり、工作と兵器開発が結びつけて語られるなど、かなり息苦しい世界である。そのレトリックは軍事が科学に変わっただけで現代まで継続している点を見ると、「24時間戦えますか」の世界は今も続いているのがわかる。

 

 対照的に、第1部は自分の子供時代の読書体験がよみがえってくるような気がした。私の子供時代は対象となっている「ジュニアそれいゆ」(1954~60年)よりはだいぶ遅いが、手づくりを推奨する手芸の本や雑誌にはその名残があったと思う。

 もっとも興味深かったのは、第1章の山崎明子「『ジュニアそれいゆ』にみる少女の手芸」である。手づくりをテーマとする記事の多くを書いたのは中原淳一をはじめとする男性知識人であり、アップリケのような技法を使った「ちょっとした工夫」で「生活を豊かにする」よう呼びかけがなされていたとする。これは、読者である少女層の母親世代への批判が背景にあり、戦後の少女像の出発点の一つに大人の女性に対するミソジニーがあったという指摘は鋭い。

 これはかなりゾッとする話だ。私が高校〜大学生だった時期はルーズソックスが全盛期だったのだが、その時にルーズソックスの子を批判して、「中原淳一の描いた少女を見習え」と大真面目に言っている大人は結構いたように思う。しかし、そこに成熟した女性への嫌悪が含まれているならば、現実の女性は成長過程で行き場がなくなってしまうからだ。女性アイドルと少女性の問題と同じところにたどり着く。

 「1960年代には成熟した女性もたくさんいた」という反論もあるかもしれないが、これは60年代が「それいゆ的」価値観の萌芽期だったために一時的に共存できたにすぎないのではないか。

 

 いずれの研究も1万点以上に及ぶ記事を分類したデータに基づいており、その地道な研究方法には頭が下がる。趣味の世界が子供時代から、成人後の性別役割分業を見据えて形成されてきたという本書が示す研究成果は納得いくものだが、両者がまじわる可能性が極めて低いという示唆がもつ意味は重い。