Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

映画:「ローマ法王になる日まで」

 ローマ教皇フランシスコの来日にあわせ、各地の映画館で特別に再上映が始まった。前に見逃していたので、吉祥寺アップリンクでこの機会に鑑賞。休日の朝10時前に始まるにもかかわらず、客席は8割以上埋まっていた。来日当日とはいえ、みんなそんなに教皇が好きなのだろうか?

 


ロックスター法王と呼ばれ、人々を熱狂させるローマ法王の半生を描く『ローマ法王になる日まで』予告編

 

 原タイトルはChiamate mi Francesco: Il papa della gente(フランシスコと呼んで:人々の教皇)で、2015年製作。監督はダニエーレ・ルケッティ、主演はロドリゴ・デ・ラ・セルナ。

 映画は2013年のコンクラーベ教皇選出選挙)のため、バチカンにきた枢機卿ブエノスアイレス大司教ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(後の教皇フランシスコ)の回想で進む。1960年、大学生だったベルゴリオは家族や恋人と離れ、イエズス会入会を決意した。当時のアルゼンチンはペロンによる軍事独裁の影響が色濃く残り、教会に批判的な人々も多かった。ベルゴリオは若くして南米管区長となるが、ビデラ軍事政権による独裁政治の下で「解放の神学」運動や反政府運動に関わる知人や友人が次々と殺害、拉致、拷問され、姿を消していく・・・

 

 強制失踪者3万人といわれる軍事独裁政権時代についても詳しく描かれ、アルゼンチンの歴史についても初めて知るところが多かった。拷問や殺害など、生々しい場面も多いので、苦手な人は気をつけた方がいいかもしれない。しかし、そのような社会情勢の中でも常に弱者のために尽力するベルゴリオはとても魅力的だ。キリスト教の聖職者で魅力的な人の伝記といえば「聖人伝」が連想されるが、聖人伝研究の観点に立つと、この映画がどのように見えるかをまとめておきたい。(私の研究の出発点は聖人研究で、博論のテーマは聖人伝分析)

 

 定義からいうと、「聖人伝」とはキリスト教で聖人と認められた人物の生涯を描いたものである。中世は文字史料と絵画や彫刻といった美術品が分析対象だが、現代では映画も入るだろう。このように、生涯についてなら全て「聖人伝」になり得るが、本来はキリスト教徒に理想的生を具体的に示すのが目的であり、教育上の意味合いが強いジャンルである。その中で「召命・回心・奇蹟・死」は大半の作品に入っており、さらに人間の弱さに発する「試練」も描かれる。以下、各要素を検討する。

 

・召命

 ある使命を果たすよう神から呼びかけられることで、聖人伝では宗教的生活に入るきっかけとなる。実はこの映画には召命の要素はない。冒頭部ですでにベルゴリオは聖職者になる決意をしている。

 

・試練

 1983年にビデラ政権が倒れるまでが試練の時期にあたる。1960年代から南米では聖職者が信徒の魂を救済するために積極的にスラムや農村に入って貧しい人々と生活や労働を共にし、貧困、抑圧、不正義をもたらす権力構造からの解放を求める社会改革運動「解放の神学」運動が広がった。これに対し、バチカンは聖職者の政治参加であるとして否定的態度を取っていた。ベルゴリオのイエズス会南米管区長という職は中間管理職にあたり、周囲の聖職者の活動(親政府派と反政府派が混在する)、現実に避難所や逃亡ルートを求めて駆け込んでくる人々、バチカンの板ばさみで苦労することになる。しかし彼は信仰を失うことはなく、ビデラに拉致された人々の解放を直訴したり、「教会は旅行代理店ではない」などと言いつつ逃亡する人を車で送ったりしている。

 この時期のベルゴリオは入会して15年ほどで管区長に、さらには神学院の院長にもなっており、かなりのスピード出世だ。しかしイエズス会組織内でのことは全く描かれず、個人的活動にのみ焦点があてられる。

 

・回心

 過去を悔い改め、神の正しい信仰に心を向ける宗教的体験が「回心」である。ストレスに満ちた時期が終わり、消耗したベルゴリオは高度な神学を学ぶためにドイツのアウクスブルクへと派遣された。ある日入ったペルラッハのザンクト・ペーター教会で、複雑な問題を解くのを助けてくれるという「結びの聖母」の絵画を目にし、回心を経験する。聖人伝ではクライマックスの一つだが、映画はわりとあっさりしている。

 ここでのポイントは、ベルゴリオに聖母の話をするのがベネズエラ出身の女性だという点だ。最初はスペイン語で祈っていたので母国語が同じということで話しかけるのだが、彼女は家族を母国に置いて来たと言っていることから、家事手伝いとしてドイツに出稼ぎに来たと思われる。マグダラのマリアを代表例として、社会的地位が低い女性こそが神の言葉を語るという価値観はキリスト教では伝統的に存在し、この女性もその系譜に位置付けられる。このような人の素朴な信仰を大学神学の上位に置くことは、実践を重視するベルゴリオの価値観を示すと同時に、監督の宗教観もうかがえる。

 

・奇蹟

 神の特別な恩寵により生じる超自然的現象を指す。映画では、ベルゴリオがブエノスアイレスに戻り、再開発の対象となったスラムの住民のために立ち退き命令を撤回させようとするエピソートがそれにあたる。重機を持った開発業者が取り壊しを始め、一緒に来た警官隊が反対する住民を排除するところにベルゴリオは来合わせ、同じ車に乗っていたブエノスアイレス大司教枢機卿を引っ張り出してミサを挙行し、立ち退きの強制執行を中止させる。

 警棒を振り回していた警官たちがミサが進むにつれ、ヘルメットを脱いで頭を垂れるシーンはなかなか感動的だった。瓦礫の中で白衣をまとい、銀の聖具を輝かせてミサを挙げるというのは、実際かなりインパクトがあったと思う。ただし、このような紛争地帯の真ん中で臨時にミサを行い、対立を無効化するという発想ができるのは、衣服と宗教儀礼がもつ威力を知り尽くした人物のみである。この点からもベルゴリオが単純に「いい人」ではなく、したたかな演出家であることもわかる。

 

・死

 現世での死は天国での誕生を意味するため、聖人にとっては誕生年以上に没年月日が大切だ。だからこそ、大体の聖人は死去した日が祝日になる。この映画の場合は死去して聖人になるのではなく、教皇になるので教皇選出と信徒による歓迎で幕を閉じる。中世から続く考え方に基づくと、教皇になることは初代教皇ペテロから引き継がれる「教皇」としてのペルソナの継承であり、もはや普通の人間とはいえない。事実、ここからベレゴリオは「フランシスコ」として別の生を歩むのであり、一種の死とも見なせる。

 

 以上のように、映画「ローマ法王になる日まで」は聖人伝の語りと重複する要素が多い。だからといって、この映画は聖人伝かというと、そうとはいえない。大きく分けて2つの理由がある。1つには、聖人伝的な語りの要素を採用しているとはいえ、召命は既存の決定とされ、回心の扱いが短く、奇蹟も儀礼の効力に頼っているなど、本来の聖人伝で強調されるべき宗教的要素がかなり弱められている。

 第2の、より大切な理由は最終部にある。教会にとって、聖人とは厳格な列聖審問により信仰の正統性と奇蹟の真正性を証明した上で、神の代理人である教皇により聖人の名簿に書き加えられる、つまり受動的存在である。しかし、この映画の場合、ベレゴリオは確かに教皇に推挙されてはいるが、自らの選択で教皇名として前例のない「フランシスコ」になっている点で能動的だ。監督がこの点をどれほど重視しているかは、原タイトルChiamate mi Francesco(フランシスコと呼んで)が示している。

 「フランシスコ」という名は極めて重要だ。これはもちろん、アッシジの聖フランチェスコ(1182年頃〜1226年)がもとにある。彼はアッシジの裕福な生地商人の家に生まれ、若い頃は騎士に憧れて放蕩生活も送ったが、回心して所有物を全て放棄し、清貧と謙遜のうちに一生を送った。托鉢と放浪の実践を強調し、学識は財産とみなして放棄するよう主張した。このような信仰のあり方は現教皇と共通点が多い。このような類似点は、教皇本人も強く意識しているだろう。来日を筆頭に、カトリック教徒が少ない国に積極的に訪問しているのも、スルタンに改宗を勧めに行ったフランチェスコを彷彿とさせる。

 つまり、映画全体を通じてベレゴリオは次第にフランチェスコに近づき、最後は教皇として同名を帯びることで一体化する。このように能動的な人間の選択を強調する表現は近代的(世俗的ともいえる)であり、教会に所属する人からは出てこないだろう。実際、監督はパンフレットのインタビューで自らは無宗教だと述べている。

 では、このような描き方はどのような効果をもたらすのだろうか。この映画の場合、決してネガティブではない。製作者がベレゴリオに敬意を抱き、魅力的な人物と見ていることは、映画全体を通して伝わってくる。シスターを罵ったり、喧嘩をする場面もあるが、それは人物像に人間臭さを加える働きをしている。キリスト教的な語りを採用しつつ、その価値観から一歩退いた描き方をすることで、信徒以外にもベレゴリオの魅力が理解しやすくなっているといえる。

 また、詳しく書くと長くなりすぎるのでここでは書かないが、ベレゴリオと交流ある女性たち(いずれも反政府活動をしている)が自立して魅力的に描かれていたのには好感がもてた。

 

 なお、パンフレットはベルゴリオの生涯の解説と賞賛が多くを占めている。せめて1ページでも、アッシジのフランチェスコをきちんと解説した部分があったらいいと思った。