Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

映画:「2人のローマ教皇」

 Netflix製作だが、配信前に期間限定で上映されているもの映画館で見てきた。監督はフェルナンド・メイレレスベネディクト16世アンソニー・ホプキンス、ホルヘ・ベルゴリオ(現在の教皇フランシスコ)をジョナサン・プライスが演じ、ゴールデン・グローブ賞でも作品賞にノミネートされている。

 


『2人のローマ教皇』予告編 - Netflix

 

 2012年教皇ベネディクト16世が退位する前後に焦点をあて、2人の交流を通じて教皇退位の決断と、引退を願っていたベルゴリオが教皇位に就くまでの心境の変化を描く。日本語の作品説明では「実話に基づき」となっているが、英語では"inspired"となっているため、訳としては少し不正確だ。監督のインタビューを見ると、「ベネディクト16世が退位を表明する直前に3回、ベルゴリオ枢機卿と会っていた」ことを踏まえ、2人の著作や発言から交わされたと考えられる対話を組み立てたようだ。

 

 先日上映されていた「ローマ法王になる日まで」で扱われなかったベルゴリオの人生が描かれており、セットで見る方が面白い。イエズス会に入った契機(召命)やベルゴリオがアルゼンチンでは保守派とされる事情などがよくわかる。「ローマ法王になる日まで」が聖人伝的語りの枠組みを採用しつつ、極力宗教色が薄い描写をしていたのに対し、この「2人のローマ教皇」は笑える要素を織り込みつつも宗教性が強い会話劇だ。

 私が宗教色を強く感じた理由は、2人が映画中ずっと回心や神との対話、贖罪といったキリスト教的テーマを語っていることにある。映画の成り立ちが成り立ちなので、ある意味当然だろう。自分に迷いを抱いていた2人がそれぞれ、これまでを振り返りつつ、赦しあうことで転換点を迎える。

 

 この作品の面白さは、ベルゴリオの相手としてベネディクト16世を選んだ点にある。この教皇はベルゴリオとは正反対に学究肌で浮世離れしており、人とほとんど交わらず、ビートルズすら知らない。都合の悪いことを話すときはラテン語を使い、発言の既成事実を作ってしまう。教義的には原理主義者であり、「正統教義を体現した自分が教会の頂点に立てば、周りもみんなついてきて、善き教会に戻るはず」と考えている。政治に介入しないという点では近代的だが、グレゴリウス7世を彷彿とさせる人物だ。

 グレゴリウス7世は11世紀に教会改革を進め、1077年の「カノッサの屈辱」で皇帝ハインリヒ4世を屈服させたことでも有名だ。私がこの教皇ベネディクト16世を結びつけたのは、ベネディクト16世の思考が教会に絶対的価値を置くという点で中世的だからだ(実際、彼は中世神学の研究者だった)。それが明白になるのは、聖職者による児童への性的虐待をめぐる問題である。ベネディクト16世にとっては教会での告解と赦免がもっとも重要であり、近代的法制度による制裁が求められるという発想は浮かびもしない。現代社会とは完全なミスマッチであり、然るべくして退位したことがよくわかる。

 ただ、この登場人物2人が全くかけ離れた生を送ってきたかというと、実はそうでもない。ベルゴリオはアルゼンチンのビエラ軍事独裁政権下で聖職者として活動を始めたが、ラッツィンガー(後のベネディクト16世)も青年期にヒトラー・ユーゲントに入っていたため、独裁政権が人に及ぼす影響については身をもって知っていることをうかがわせる場面があり、奥深さを感じた。