Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

聖人伝はいつ書かれたのか?ー成立年代を調べるー

研究上の必要で聖人伝の成立年代をまとめてリサーチしたので、使ったもの、便利だったものを忘れないうちに記録しておく。

 

「中世の聖人伝がいつ書かれたのか」という問いは一見簡単だが、答えを知るのは案外難しい。これにはオリジナルがほとんど残っていないという前近代特有の事情がある。テクスト分析から6世紀に書かれたのは間違いないが、最古の写本は10世紀、といった事例は珍しくない。そして、書写で伝来するために写本情報が重視されるので、作品自体の成立年代よりも写本についての方が情報が多い。すると、膨大な聖人伝の成立年代をデータとしてまとめるのはかなり難しくなる。とはいえ、インターネットのおかげでかなり調べやすくなった。

 

私が史料として使用するラテン語聖人伝をまとめた文献の中ではボランディストによるBibliotheca Hagiographica Latina(BHL)が最も網羅的なカタログで、まずここに当たる。これはネットでPDFが入手できるので大変助かった。さらに、これと写本のカタログを紐付けたサイトをナミュール大学が提供している。名前とメールアドレスを入力する必要があるが、それだけで自由に使える。

bhlms.fltr.ucl.ac.be

 

リサーチのコツ

多数の聖人伝を調べることになると、そもそもその聖人が誰なのか知らないことも出てくる。さらに聖人辞典に載っているような有名人ならともかく、無名に近い人、同名の聖人がやたら多い人、BHLのラテン語表記が現代語とかけ離れていて調べられない人、現代人で同名の有名人がいてそちらがヒットしてしまう人、さまざまな理由で検索対象にたどり着くのに時間がかかってしまう。色々試した中で意外に有効だったのは、名前(ラテン語でよい)と没年をクロスで検索するテクニックで、地名よりもヒット率が高かった。これで情報を絞り込んでから、"vita"でさらに検索をかける。

 

お役立ちサイト

大量に出てくるサイトの中で「このサイトが出てくれば確実」というものが3つあった。

・ドイツ語圏

www.geschichtsquellen.de

超優秀サイト(もちろん、ドイツ語圏の他の中世関連の史料も扱っている)。レイアウトもわかりやすく、ドイツ語がわからなくても必要な情報が得られる。

・低地地方

www.narrative-sources.be

伝記原文の冒頭を出してくれるので、自分が探している作品と対照しやすい点がよい。

・イタリア

www.mirabileweb.it

かなり幅広い地域の聖人について知ることができる。ただ、情報量が多すぎて、使いこなすには慣れが必要。

・おまけ

www.unamur.be

こちらもナミュール大学が提供しているサイト。BHLと結びついているので収録されている全作品の成立年代が載っているのだが、「聖人の没年〜1550年まで」という力技で乗り切っている項目もけっこう多く、他でより新しい情報をチェックしてから採用する方が望ましい。

ここにあるサイトからわかるように、イギリス(英語圏)の同種のサイトは見つけられなかった。基本的に俗語の聖人伝が使われることが多いからかもしれない。しかし、類似した綴りの名前が多いので、ちゃんと整理したものがあるとありがたい。

 

その他

Wikipedia

使えないようで使える。ただし、ここに出ている情報を鵜呑みにするのではなく、出典を必ずチェックする必要がある。また、欲しい情報が直接にはなくても、行き詰まった検索を進めるためのヒントが転がっていたりするという点では有益だった。

・博士論文

近年は博士論文がインターネットで公開されているので該当しそうな論文は一通りチェックした。しかし、知りたい情報が載っていたものは少なかった。理由は使用史料にBHLの番号が示されていないこと、現代語訳を使用しているためにラテン語原文が載っておらず、最終的な確認が不可能だったことの2点。このどちらかがないと個別作品の成立年代はわかっても、それがBHLのどの作品なのかがわからないので、私の場合は使えそうで使えない論文が多かった。

 

全体として、BHLのカタログ番号を明示した文献は減少傾向にあるようだ。しかし、現代語訳を使ったとしても、原文に辿り着くために番号くらいは註に載せておいてほしい。あと、新しめの論文でも伝記記述をいきなり分析に入るものが目につき、成立年代とのズレがある可能性を考えると、もう少し慎重に論じたほうがよいのではと思った。

 

以上の手続きを踏んでデータベースにある論文を見れば、インターネット上の情報は大体網羅できる。所属に左右されるが、私の所属大学は最近のブリルの本は基本的に電子書籍で購入しているようなので、そちらも忘れずにチェックしたい。電子書籍は家から見られるという点では優れているが、書架で見た覚えがないので、いちいち検索しないと所蔵がわからないというマイナス点もある。

もちろんこれだけでは不十分なので、最終的に残った分は図書館で文献をひっくり返して調べる。首都圏の場合、最終的には中世思想研究所に駆け込めばなんとかなるだろう。

女性史学賞について

2020年に刊行した『「聖女」の誕生ーテューリンゲンの聖エリーザベトの列聖と崇敬ー』(八坂書房)が第17回女性史学賞をいただくことになりました。

 

【重要】「2022年度 第17回女性史学賞」選考結果 受賞作:三浦 麻美氏 『「聖女」の誕生―テューリンゲンの聖エリーザベトの列聖と崇敬』八坂書房 2020年nwugender.wordpress.com

 

女性史をきちんとやるべきではないかと思い始めてから形になった本が、そのものずばりの名前がついた賞をいただくことになりました。西洋中世史は女性史・ジェンダー史の研究がまだまだ少ないですが、やるべき課題がたくさんある魅力的な分野なので、この賞をきっかけに色々な方に関心を持っていただけたら幸いです。

 

yasakashobo.co.jp

【お知らせ】西洋中世学会ポスター発表をします

 開催中の西洋中世学会第13回大会のポスターセッションで「メヒティルトからゲルトルートへーヘルフタ修道院におけるlitteraー」の報告をします。同じ修道院で2人の修道女が書いたテクストに出てくる同じ単語に注目し、13世紀の思想という文脈に女性の存在を組み込む試みです。litteraというラテン語の単語は「文字」を表すのですが、これを手掛かりに、なぜ女性が身体を重んじる観想的宗教性を特徴とするようになるのかを考えられたら、と思います。

 

 発表時間は次の通りです。

1回目:10:00~10:10

2回目:11:00~11:10

 これ以外の時間でも、タイミングが合えば随時発表なり、質疑応答なりをするつもりなので、ご興味のある方はぜひいらしてください。

ワクチン接種予約奮闘記

 新型コロナウイルスのワクチン接種のため、予約受付が私の住む東京某区でも始まった。同居する後期高齢者の両親2人分のワクチン接種予約を取るまでの様子を記録しておく。

 

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2021年4月23日:ワクチン接種のためのクーポン発送日。「週明けの26日頃には届くのではないか」と話していた。

4月27日:クーポンがまだ届かない。区の公式サイトを見たところ、「区はクーポンを23日に郵便局に持ち込んだ」とキレ気味の文面で告知が出ていた。この時点で、予約が大混乱になることを覚悟。

4月28日:クーポンが到着。予約は私が1人で取ることになるので、予約の優先順位(高齢の方を先に予約する)、接種場所の希望、予約に必要な番号などを確認。

 

4月30日9:00

 予約開始。ネットと電話の両方があるが、とりあえずネットで挑戦した。最初の数分はログイン画面まで行ったが、その後はログイン画面が出てくるのも10回に1回くらいの状態になり、「アクセスが集中しています」を見続ける。サイトは20年くらい前のチケットサイトみたい(つまり、私が学部時代に必死にチケットを取ろうとしていた頃と似た印象)。現在のチケットサイトはログインさえすればそれなりに余裕を持って買い物ができるのだが、今回のサイトはバグが起きると、「個人情報の取り扱いに同意します」の画面に戻ることになり、精神的ダメージが大きい。ひたすらクリックし続けて、手が震えてくる。

10:15

 予約はまだできず、親1のためのログイン画面からほとんど進めない。1度だけ、「接種会場の選択」まで行ったが、「予約」ボタンを押したところ、また「個人情報の〜」の画面に戻ってしまった。あまりのつながらなさに区のサイトを見たところ、「予約を一時停止します」の文字が。サーバがダウンしたらしい。

10:30

 やけくそになって履歴から「接種会場の選択」のページにアクセスしたところ、あっさりと予約が取れた!裏口から入ったようなものなのであまりいいとは思えないが、取れるには取れた。これから親2の予約を取るため、正面玄関に戻らねば。

11:30

 サーバはまもなく復活したらしい。親2の予約を取ろうとしているが、ある時点から「ログイン認証に失敗しました」の画面が出てくるようになる。目の前の紙に書いてあるパスワードを正しく打ち込んでいるはずなのに、なぜ間違っているのかがわからない。パスワードは生年月日なので、自分は親の生年月日を正しく知らないのではないか、親のことをそれほど知らないのではないか、そもそも親は実在するのか、デカルトは正しいのか、などと考え始める。このままだと自分のメンタルが危うくなるので、Twitterで状況をチェックする。すると、パスワードを何回か間違えるとアカウントがロックされるというツイートがあった。半信半疑で更新したパスワードを打ち込んだところ、「アカウントがロックされています」の画面が出てきた。親1の予約を取っていた時とはルールが変わったのか?そもそも、パスワード更新に成功したという通知もなしにロックするなんて、どんな罰ゲーム?

12:00

 アカウントの状況はわかったが、ロックされると一定時間は操作ができなくなるらしい。問題なのは「一定時間」がどれくらいなのか、どこにも情報がないことだ。仕方ないので30分後、1時間後と定期的にアクセスすることにして、一休みする。

13:00

 アカウント状況を確かめる。数回試すと、予約が取れた!ロックされる時間がどの時点から始まるのかがわからないので確かなことは言えないが、長くても2時間程度のよう。親1の予約を取ってから2時間半後に親2の予約が取れたが、接種日は1日違うだけだった。サイトの処理能力をかなり低く見積もって長期戦になると予想したが、私の評価よりもはるかに処理能力が低いらしい。

 

まとめ

 「チケット販売は終了しました」の文字をこの目で見るまで売り切れを信じないというのは私がチケット争奪戦で学んだ教訓だが、同じことがワクチン予約にもいえる。単なる予約ではなく、もはや修行。今回は予約ができたからよかったようなものの、あまりにも時間的・精神的負担が大きすぎる。おまけに、予約が取れたのは接種1回目だけで、この後に両親の2回目接種と自分の接種2回分の予約が待っていると考えると、頭が痛い。

 政府は日本のデジタル化を推進したいといっているが、実感としては実現にはほど遠い。せめて、国が全国で統一した予約システムを作って自治体に提供し、予約方法をNHKなどで定期的に知らせるといった対策をきちんと取らない限り、接種に至ることができない高齢者は必ず出てくるし、下の世代も同様だ。打ちたい人がワクチン接種を受けられるよう、今からでもきちんとしたシステムの構築をするべきだと思う。

 

【お知らせ】共訳書が出ます

 翻訳に参加した本が今日刊行されます。

ウィンストン・ブラック(大貫俊夫監訳)『中世ヨーロッパ—ファクトとフィクション—』平凡社、2021年

 

 

 私は第9章の「中世の医学は迷信にすぎなかった」を担当しました。中世にヨーロッパの医術は野蛮か迷信のどちらかと言われがちですが、実はきちんと理論にもとづいており、しかもその理論はイスラーム圏と重複していたという話です。現在のような暗黒のイメージが形成されたのはヴィクトリア朝イギリスだったという驚きの展開で、誰がどのようにして作り上げたのかもきちんと解説されています。

バーバラ・H・ローゼンワイン再考①

 近年、歴史学では注目を集めた書籍の翻訳がまとまって刊行されたこともあり、「感情史」が新しい研究分野として大きな注目を集めています。この分野の先駆的な研究者の一人がバーバラ・H・ローゼンワインです。ローゼンワインは2000年代後半から感情史に取り組み始めましたが、もともとは西洋中世史の研究者でした。しかし、中世史研究者としての業績を日本語で紹介したものはあまり見られません。なぜでしょうか。実は、この問は日本における西洋中世史研究の動向と密接に関連している、と私は考えています。

 

 話を2020年10月に2日間にわたって開催された西洋中世学会第12回大会から始めます。第1日目の最後に「問題提起」と題した短いセッションがありました。「若者の西洋中世離れ—通俗的西洋中世像と中等教育における西洋前近代の取り扱い—」というテーマで、日本の歴史教育における西洋中世がもつ存在意義の低下について現状把握を共有し、その原因と対策を考えるというものでした。学校教育での扱いを考えると、世界史の中でも西洋中世史はなぜ人気がないのか、とも言い換えられるでしょう。その時のディスカッションで最大の原因としてあげられたのが「マルクス主義史観の崩壊」でした。「中世社会=封建社会」という戦後一貫して存在した図式が消滅したことにより、中世史を学ぶ意義を見出す人が少なくなった、と考えている人が少なくないことがわかりました。

 しかし、今から振り返ると、この「問題提起」の答えの一部は2日目の大会シンポジウムにも潜んでいたように思えます。このシンポジウムのテーマは「中世における感情」で、一見したところ感情史そのものずばりです。しかし、報告者の顔ぶれを見ると哲学、音楽、文学、美術が専門で、歴史の専門家はいませんでした。シンポジウムの場合はテーマや時間により制約が多いため、歴史の報告者がいなかったこと自体はやむを得ない面もあります。それでも、「中世における感情」というテーマに関心をもって参加した研究者たち(特に中世以外の時代を専門とする)が抱いたはずの、ローゼンワインが打ち出したような感情共同体という観点に日本の西洋中世史研究者はどう応じているのか、という関心に答えられたのかは疑問が残ります。別の見方をすると、他分野の研究者から注目される絶好の機会だったシンポジウムで中世史研究者は存在感の発揮に失敗したのであり、これを繰り返せば関心を抱かれない状態になっても不思議はないでしょう。

 

 ここで、話をローゼンワインに戻します。西洋社会形成の根源にあるものとして中世における国家形成過程を解明し、その基盤にあった封建制を考察することは、太平洋戦争直後から日本の西洋中世史研究者にとっては最大の課題でした。1970年代から欧米の研究が人類学を始めとする多様な学術研究の成果を取り入れ始め、2000年代に入ると、封を媒介とした主従関係にもとづく身分制社会という従来の見方が限界を迎えたのは誰の目にも明らかでした。私自身は大学院に入ったばかりでしたが、くらくらしながら議論を聞いていたのを覚えています。ローゼンワインの著作がよく読まれていたのはこの時期です。

 封建制について私は専門家ではなく、またここで取り上げるにはあまりにも複雑な議論のため、具体的な展開は割愛します。ここで抑えておくべきは、それでも西洋中世に社会が存在した以上、何かが人間同士を結びつける機能を果たしていたと考えられたこと、その何かは封(つまり土地)のような静態的なものではなく動態的なものだと考えられたことです。これを捕捉するため、複数人の関係性が公のものとなるコミュニケーションに注目が集まりました。これが儀礼研究、紛争研究となっていくわけですが、その時に基本文献となっていたのがアルトホーフやローゼンワインでした。

 ゲルト・アルトホーフはドイツ、ミュンスター大学の教授でした。ドイツ王教皇、高位聖職者たちが宮廷の儀礼でどのように振る舞ったか、特に紛争を解決するために何を行ったのか検証し、中世初期ドイツの政治権力構造を読み解きました。アルトホーフの「政治史」を「政治文化史」へと拡大する、という路線が日本で受容されて根付いたことは、2020年に刊行された『論点・西洋史学』「西洋中世史の論点」にも読み取ることができます。この背景には彼が巨大プロジェクトを主導して成果をあげたのに加え、本人が来日したこともあるでしょう。同時に、アルトホーフが主に取り上げたコミュニケーションの場である宮廷への考察は、国制史を主要な着眼点として論じてきた日本の研究動向と相性がよかった点も指摘しておかなくてはなりません。

 一方のローゼンワインはシカゴ、ロヨラ大学の研究者で現在は名誉教授となっています。アルトホーフと異なり、フランスの修道院を研究対象としていました。修道院と周辺の在俗領主が境界線や徴税をめぐって争った際、どのようにして交渉し、地域社会の中で共存していたかを読み解く研究です。『聖ペテロの隣人であることークリュニーの所領がもつ社会的意味ー(To Be the Nighbor of Saint Peter: The Social Meaning of Cluny's Property)』(1989年)で注目されるようになりました。一連の修道院をめぐる紛争解決の研究から中世史における空間や共同体の形成過程への注目が発展していくことになるわけですが、ローゼンワイン自身は別の研究へと進みます。この新しい研究方針が明確になったのが、2006年の著作『初期中世における感情共同体(Emotional Communities in the Early Middle Ages)』でした。その後、『感情の諸世代ー情動の歴史600~1700年ー(Generations of Feeling: A History of Emotions 600-1700)』(2016年)、『怒りの人類史—ブッダからツイッターまで—(Anger: The Conflict History of am Emotion)』(2020年、邦訳あり)と感情史の研究が続きます。

 とはいえ、日本の西洋中世史研究者が最もよく読んだのはそれ以前の1999年の著作、『空間をめぐる交渉—初期中世ヨーロッパのイムニテに見る権力・抑制・特権—(Negotiating Space: Power, Restraint, and Privileges of Immunity in Early Medieval Europe)』でした。タイトルにある「イムニテ」とは以前の世界史教科書では「不入権」などと訳されていたもので、修道院のような教会関連施設を俗人領主の支配から切り離すためには不可欠であり、中世当時にはしばしば紛争の原因になると同時に、現代の研究者にとっては封建社会の核心に迫るテーマの一つとなりました。しかし、ローゼンワインがあまり読まれなくなった原因こそこの本にあるのではないか、というのが私の見立てです。なぜなら、この本は「最終章以外はすごい」というのが一般的な評価で、それ以降はローゼンワインの話を聞く頻度が激減したからです。当時、このような評価は日本だけではなかったようですが、「最後は読む必要なし」「助成金のために無理矢理ひねり出した章ではないか」といわれ、現に私が院ゼミでテキストとして読んだ際も最終章は飛ばしてしまいました。それでも一応目を通したのですが、何が書いてあったのかあまり覚えていませんし、感銘を受けた記憶もありません。たぶん、周りの評価に流されていたのでしょう。

 この『空間をめぐる交渉』を現在の視点から読み直してみたら何が見えてくるのでしょうか。ローゼンワインがこの本の後に感情史研究に進んで新しい分野を切り開いたことを考えると、接続部にあたる最終章について、2002年頃の私が著者の意図を適切に読み取れていなかったことは明らかです。封建制をめぐる議論の一環として捉えるのではなく、著者の意図に忠実に読み直すと、かつて見落としたものが見えてくるかもしれません。ここでようやく本題に辿りついたわけですが、既にあまりにも長くなってしまったので、本自体については項を改めて論じます。