Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

テューリンゲンの聖エリーザベト紹介(3):マールブルク

 テューリンゲンの聖エリーザベト紹介、続きます。今回はヘッセン州マールブルクです。「聖エリーザベト」というと、この都市が最も有名です。1228年頃から聖エリーザベトが施療院を設立して暮らしていました。聖人の善行として有名な病人の看護や貧者の世話の舞台となったのは、ここということになります。死去したのもこの都市であり、墓の上に教会が建てられました。それが、ザンクト・エリーザベト教会です。

 この教会は1230年代に建設が始まり、1280年代に完成しました。ドイツ最古のゴシック教会の一つで、聖人の生涯を描いたステンドグラスが有名です。その他にも黄金製の聖遺物容器があり、創設者であるドイツ騎士修道会の当時の財力をうかがわせます。下の写真は私が自分で撮影したものですが、尖塔がとても高いため、素人のカメラではきちんと先端まで撮りきれませんでした。

 

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ザンクト・エリーザベト教会(マールブルク

 玄関上のタンパンはこんな感じです。中に入るとすぐ、入り口脇にマールブルクのコンラートとヒンデンブルク(ドイツの将軍で後に大統領。1933年にはヒトラーを首相に任命)の墓があります。これは選んでそうなるわけではないですが、結構すごい組み合わせです。学部の卒業旅行で初めて行った時は、ヒンデンブルクも埋葬されているとは知らなかったので驚きました。

 撮影したのは、聖エリーザベト生誕800周年にあたる2007年だったので、あちこちにそれを祝う垂れ幕が掛かっていました。とはいえ、この教会はルター派です。宗教改革時のヘッセン方伯は熱烈なプロテスタントだったため、この教会にあった聖遺物を都市外に出し、宗派を変更しました。そのため、現在のマールブルクプロテスタントの都市です。カトリックは近くに別の教会があります。

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ザンクト・エリーザベト教会入口(マールブルク

 正面の時計のある建物が市庁舎。同じ2007年に撮ったものなのでにぎやか。

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マルクト広場(マールブルク

 聖エリーザベトの名前に「テューリンゲンの」と付くにもかかわらず、ヘッセンに巡礼地があるのは、13世紀にテューリンゲン方伯領が分裂したためです。方伯だったルドヴィング家が断絶すると、近隣に嫁いでいた一族の女性2人が自らの息子に継承権を主張しました。それがエリーザベトから見て甥にあたるヴェッティン家のハインリヒと、同じく孫にあたるブラバント大公家のハインリヒです。両家は武力衝突を繰り返し、最終的にかつての方伯領を分割した結果、現在の状況になりました。

 一方のテューリンゲンはどうなっかのか、次回に続きます。