Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

論文紹介:バーバラ・ニューマン「7層の山:ハッケボルンのメヒティルトとダンテのマテルダ」

 Barbara Newman, "The Seven-Story Mountain: Mechthild of Hackeborn and Dante's Matelda," in: Dante Studies, vol. 136, 2019, 62-92 を読んだ。

 

 ダンテの『神曲』煉獄編第28~33歌で案内役を務める貴婦人マテルダは誰なのか、を主題とした論文である。基本的に神曲の登場人物にはモデルがいるが、この人物に関して研究者の見解は分かれている。それでももちろん、膨大な神曲研究の中にはこのテーマを扱ったものがいくつもあり、ゲルマン系言語に起源を持つ珍しい名前ということもあって候補は2人に絞られている。

・トスカナ辺境女伯マテルダ(1077年カノッサの屈辱の際、教皇グレゴリウスを居城のカノッサにかくまった人物)

・ドイツのヘルフタにあったシトー会ザンクト・マリア修道院の修道女、ハッケボルンのメヒティルト

 

 ニューマンは後者ハッケボルンのメヒティルト説を取り、その根拠を彼女の著作である『特別な恩寵の書』の救済観と『神曲』が描く煉獄の共通点を提示することで論証を試みている。その具体例として、そもそも煉獄が7つの階層からなるという発想、マンフレーディ(皇帝フリードリヒ2世の子で、イタリア支配を巡って教皇と対立した)のような人物が煉獄にいて救済の可能性を残しているという楽観的態度などを挙げている。

 

 ただし、ニューマン本人が認めている通り、煉獄に関して共通する価値観や類似した文学表現が含まれるだけでは『特別な恩寵の書』が『神曲』に影響を与えたという確証としては不十分である。この論文の新しさは、西洋中世の女性による宗教テクストを研究してきたニューマンが、あえてダンテ研究の媒体に投稿した点にあるのだろう。

 

 それでもいくつか興味深い指摘があった。一つは、メヒティルトとダンテの煉獄描写について「楽観主義(optimism)」と評価していた点だ。ル・ゴフの『煉獄の誕生』によると、この時期は煉獄が単なる概念を脱して実体を伴う存在として受容されていく段階にあたる。ドイツとイタリア、というかなり地理的に離れた場所で類似した価値判断が見られるならば、救済に関する思想が誰により、どのように伝播されたかはより注意深く考える必要がある。

 もう一つは、メヒティルトの作品がダンテに伝わった舞台の候補として、ニューマンが1300年の聖年に言及した点だ。ヘルフタに関係する人物が聖年に巡礼に出たという史料は見たことがないが、この地域に聖年という概念がいつ頃から伝わっていたかを考えるのは興味深い。この時はキリスト教史上初の聖年だったわけだが、教会史の中で聖年の扱いはわりと雑であり、特に中世のものに関してはきちんとした研究がない。これは、創設したボニファティウス8世のエキセントリックな性格に研究者の注目が集中しがちな点が影響しているのかもしれない。また、中世末になるとアレクサンデル6世による金権政治の象徴のような意味を負わされてしまうため、どうしても評価がネガティブになる。しかし、信徒が大量に集まり、気前よく寄付したからこそ金権政治が可能となったわけで、聖年は宗教的にはかなり大きなインパクトを持った発明だったはずである。この辺を詳しく見ると、中世後半の宗教文化について、新しい要素が見えてくるかもしれない。