Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

テューリンゲンの聖エリーザベト紹介(2):テューリンゲン?ハンガリー?

 「テューリンゲンの聖エリーザベト」紹介第2弾です。

 

 ヨーロッパ中世は基本的に名字というものがありません。名字があるのは王家や貴族のごく少数派です。その人たちも、もとをたどれば同じ名前を代々使っているところから派生した名字だったりします(たとえば、13世紀のテューリンゲン方伯家は「ルドヴィング家」と呼ばれますが、これは「ルートヴィヒ」という方伯が連続したためです)。名字がない場合、名前とあだ名、もしくは地名との組み合わせで個人を識別します。この時に使われる地名は多くは出身地、そうでなければ生涯の大部分を送って活動した場所となります。

 聖エリーザベトの場合、ドイツの地域であるテューリンゲンかハンガリーが使われます。テューリンゲンは彼女が大部分の生涯を過ごした場所ですし、ハンガリーは出身地なので、理論的にはどちらも可能です。

 私が今まで見た印象では、ドイツ人研究者は「テューリンゲン」を必ず使います。自国の聖人だと認識しているからでしょう。一方、外国人研究者(つまりドイツ人以外)は「ハンガリー」を使う例もかなり見られます。基本的に中・東欧の研究者はこちらです。あと、「テューリンゲンってどこ?」という英語圏の研究者もハンガリーを使うことが多いようです。

 日本ではWikipediaでこそ「エルジェーベト」として記載されていますが、研究文献ではまず「テューリンゲンの聖エリーザベト」と表記されます。このような名称になっているのは、私も含めてドイツ語文献からから研究に入る人が多いから、という事情がありそうです。