Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

日本の手芸はいつ牙を抜かれたのか(2)

 最近は日本の手芸とジェンダーについての本が色々と出ているが、社会制度の面から見ると、どのようにして手芸が政治に取り込まれていったのかがわかるものは意外と少ない。なので、(1)に続いて編物を題材に戦後の様子を概観する。

(なお、これはきちんとしたリサーチをしたものではなく、将来的に研究をしたい人がいたら、この辺から始めたらいいのではないかという参考程度のメモ)

 

asamiura.hatenablog.com

 

 

 

 社会制度といっても色々あるが、ここで注目したのは編物に関連して「資格」を出している法人である。主な法人は公益財団法人が3つ、一般社団法人が1つある。設立年代が古いものから順に挙げる。

公益財団法人

・日本編物手芸協会 http://www.nas-knit.jp/index.html

1955年設立。設立者は大妻女子大学創立者でもある大妻コタカ

2013年に公益財団法人になる

講師資格を取ることができ、編物教室の登録もできる

 

・日本編物検定協会 https://www.amiken.or.jp/history.html

1961年から設立準備が始まり、1962年に任意団体、1963年に財団法人に

1964年から技能検定を開始し、編物は5~1級に分かれる。1級を取れば指導者になる

2012年に公益財団法人になる

サイトには会長として山谷えり子が出ているが、前任は中山恭子だったよう

 

・日本手芸普及協会 https://www.jhia.org/about/history

1964年にヴォーグ手芸コンサルタント協会として発足し、1969年に日本手芸普及協会となる

2011年に公益財団法人となる(その後、2012~2015年が空欄なのが物悲しい)

日本の手芸団体としては最大規模の日本ヴォーグ社との結びつきが強く、資格課程も入門、講師、指導員、準師範と分かれている

 

一般社団法人

・日本編物協会 http://nichiami.jpn.org/rekisi.html

1952年編物教師団体として設立され、1955年に社団法人に昇格

2014年に一般社団法人になる

講師、教師、師範の資格が取れるが、師範はなかなか取れないよう

鳩山一族との結びつきが強く、設立直後から薫子、一郎、邦夫と3代にわたって顧問となっている

 

 これらの団体の歩みをまとめてみると、だいたい1950年代半ば頃から編物が手芸の1分野として社会的に認知されるようになり、1960年代前半に組織化されたことがわかる。その際には編物をしていた人々だけではなく、自民党の政治家も密接に関わっていたようだ。

 また、資格といっても3段階くらいはあるのが普通で、ステップアップして指導者として独り立ちすることになる。とはいえ、これだけの資格団体が並立していることからも明らかなように、編物で食べていくのに欠かせない資格があるというわけではない。そもそも、編物教室はあまり利益が上がらない(1年間で数十万円程度という話も読んだことがある)ので、プロとして食べていくよりも、「趣味」としての意味合いが強いようだ。

 

 ここ俄然、気になってくるのが日本ヴォーグ社である。もともとは1954年に編物本の出版から始まったようだが、次第に手を広げて現在は縫い物や織物なども扱っている。同じく手芸本出版大手の文化出版局が出版事業メインなのに対し、日本ヴォーク社は資格認定や通信販売など、より多角的に事業を展開している。サイトによると、1958年に法人化して、当時は個人経営でばらばらだった編物教室のネットワークを作ったのが転換点のようだ(恐らく、ネットワークに加わることで教室としての質にお墨付きをもらえるのが魅力だったのだろう)。

 この創設者が瀬戸忠信。現在の日本ヴォーク社の代表取締役瀬戸信昭の父である。この人物については検索しても、ほとんど情報がない。死亡記事と記念パーティ以外で唯一ヒットしたのがこちら↓

  この本の第1章「死闘の果て」に「死と隣り合わせのバシー海峡漂流三十時間」という文章を書いているようだ。

 この瀬戸忠信の経歴といい、どのサイトの歩みにもうっすら漂う自画自賛の感じといい、闇はかなり深そうである。