Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

映画:「人生はシネティック!」

 シネフィルWOWOWで放映されていた「人生はシネマティック!」(2016年イギリス)を見た。リサ・エヴァンズの小説Their Finest Hour and a Half を原作として、ロネ・シェルフィグが映画化したロマンティック・コメディである。

 


映画『人生はシネマティック!』11.11(土)公開

 

 舞台は1940年イギリス。第二次世界大戦中の国民の士気高揚のため、映画会社はプロパガンダ映画の製作に取り組んでいた。その中、ダンケルクの撤退を舞台にイギリス軍兵士を漁船で救出したという双子の姉妹ローズとリリーの映画を撮影することになる。主人公カトリンは夫がスペイン戦争で負傷し、彼の本業である絵画も売り上げがよくないため、生活費を稼ぐべく全くの未経験にもかかわらず脚本の執筆陣に加わることとなった。撮影と同時進行で自転車操業の執筆、わがままな俳優に国策で押し込まれた素人、国からの検閲などの障害を乗り越えつつ、完成を目指すのだが…。

 

 カトリンは夫と駆け落ちしてロンドンに出てきており、近所の人々との付き合いも限定的なようだ。それが仕事を得たことで少しずつ自立し始め、同じ脚本家のバックリーに才能を認められ、魅かれ合うようになる。伝統的なジェンダーロールを求める男性と、才能を認めて対等に扱う男性、どちらを選ぶかという古典的な枠組みの恋愛映画といえる。

 

 この映画の特徴は2点ある。一つは、カトリンの仕事がプロパガンダ映画の脚本執筆であることだ。見ている側はダンケルクが写真もない小さな新聞記事から壮大なカラー映画にまで膨らむ過程を目にすることになる。脚本家たちは事実を取捨選択し、つじつま合わせのためにどんどん話を改変していくのだが、その奮闘はコミカルに描かれ、プロパガンダ批判よりも戦争という現実を乗り越えるためのフィクションの力に焦点があたっている。

 

 第二に、当時の女性差別がきちんと描かれている。カトリンは既婚女性で夫の扶養下にあるという理由で通常よりも給料が低く抑えられる。また、脚本家としても女性の台詞のみを書くことが期待されている(これは、カトリンが優秀なことが判明すると変更されたよう)。男性のみで映画の方針を決める会合が行われていたこともあるし、夫はカトリンが仕事を辞めて自分と一緒に地方に付いてくるのは当然だと考えており、自分の好みに合わせて名前の呼び方まで変えてしまう。あと、女性の服装規範は戦前のものがかなり残っていたようで、空襲後の瓦礫の中をストッキングにパンプスで歩いているのは、見ているだけでヒヤヒヤした。

 ただ、この点に関して残念だったのは、カトリンと情報局からお目付役で派遣されて来ているフィル・ムーアとの関係があまり突っ込んで描かれていないことだ。二人の間に働く女性としての共感は存在するのだが、仕事の話をするときは基本的に男性が同席しており、女性だけで会話しているときの話題は男性と恋愛だ。この辺の会話にもっとふくらみがあれば、恋愛映画の枠組みを超えたストーリーになったと思う。

 

 しかし、この映画の最大の問題点は邦題である。〜以下、ネタバレを含みます

 「シネマティック」とは「映画的な」というような単語で、「人生は映画のようなもの」を意味すると考えられる(私の辞書には「通例は限定用法のみ」とあったので、そもそも文法的にも怪しいが)。しかし、中程でバックリーは「人生は不条理だが、映画は人生と違って構成されている。だから人々は映画を見たがるんだ」という。実際の人生と映画は対置され、類似物として捉えられてはいない。脚本で叔父フランクの死が何度も設定を変更され、台詞が練り上げられていくのに対し、バックリーはこれからカトリンと幸せになるはずだったのに突然事故で死んでしまう。ここで両者の死は映画と人生の対照性を反映しており、ほぼ同義にとらえている邦題とは正反対だと思う。

 最終的に、バックリーの死に打ちのめされたカトリンは二人で作った映画を見て元気を取り戻すのだが、これは辛い現実を乗り越える力を映画に見つけたということであり、このような漠然としたタイトルだとそのパワーの強烈さがうまく伝わらない。原題のTheir Finestをもっといかした訳はなかったものかと思う。