Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

【文献紹介】ロバート・バートレット『なぜ死者がこれほどの偉業をなせるのか?—殉教者から宗教改革までの聖人と崇拝者—』

Robert Bartlett, Why Can the Dead Do Such Great Thigns? Saints and Worshippers from the Martyrs to the Reformation,  Princeton, Oxford, 2013.

 

 今まで何冊か聖人伝、教皇列聖審問に関わる本について述べたが、そもそもの聖人崇敬をテーマとした本を紹介していなかったことに気がついたので、今回は基礎となる本を取り上げる。

 

 聖人崇敬に関心がある人がまず読む邦語文献は、おそらくこのあたりと思われる。

秋山聰『聖遺物崇敬の心性史—西洋中世の聖性と造形—』講談社、2009年

 

P.ギアリ(杉崎泰一郎訳)『死者と生きる中世—ヨーロッパ中世における死生観の変遷—』白水社、1999年

 

多田哲『ヨーロッパ中世の民衆教化と聖人崇敬—カロリング時代のオルレアンとリエージュ創文社、2014年

 

 これらの本は私も大変お世話になったのだが、もともとが専門書として書かれているために年代や分野に偏りがあり、全部を読んでも中世聖人崇敬展開の全体像をつかむのは難しい。そんな時に頼りになるのがこの本だ。

 著者のロバート・バートレットはイギリスの歴史家で、セント・アンドリュース大学大学名誉教授。中世史について浩瀚な書籍を何冊も出しており、うち何冊かは邦訳もされている。最新作としてBlood Royal: Dynastic Politics in Medieval Europe, Cambridge, 2020がある。

 この本の内容は以下の通り。

序文

第I部 展開

第1章 起源(100-500年)

殉教者/4世紀における宗教革命/移葬/死者記念と祈祷の儀式/証聖者/聖人伝文学の誕生/最初の奇蹟録

第2章 初期中世(500-1000年)

590年以前の見解/大グレゴリウス/ベネディクト会の世紀/新しいキリスト教圏:東・北欧

第3章 盛期・後期中世(1000-1500年)

教皇列聖/托鉢修道会の聖人/俗人女性聖人/新たな信仰

第4章 宗教改革

 

第II部 力学

第5章 崇敬の性質

名前、身体、テクスト/守護と祈祷:互恵的関係

第6章 聖人の祝日

典礼/祝日のヒエラルキー/聖人の祝日と地方のアイデンティティ/聖なる日と祝日

第7章 聖人のタイプ

聖人の統計/聖人の分類/保護者としての聖人

第8章 聖遺物と聖廟

身体の一部/接触聖遺物/教会内部の聖廟/聖遺物容器/聖遺物コレクション/聖遺物の移動/法と戦争における聖遺物/紛争における聖遺物

第9章 奇蹟

奇蹟の意味/奇蹟のパターン/治癒奇蹟/食料の奇蹟/幻視、預言、恍惚/戦争における聖人/聖人と悪魔/聖人と動物/解放/懲罰奇蹟

第10章 巡礼

起源と定義/巡礼と服装と地位/動機/中世キリスト教の聖遺物容器/ロジスティクス/巡礼ガイドと巡礼バッジ

第11章 奉献と命名

教会と祭壇の奉献/場所の名前/人の名前

第12章 聖人のイメージ

初期キリスト教におけるイメージ/ビザンツの聖像破壊/中世西方世界における諸イメージ

第13章 聖性をめぐる文学

聖人伝文学のタイプ/執筆の動機/聖人伝文学の作者たち/伝記/伝承/奇蹟録/説教/列聖審問の文献/俗語聖人伝文学

第14章 疑念と異論

初期の論争/西方の異端/懐疑論者と冷笑屋/聖人への監視

第15章 影響

聖人と神々/聖人と自然/聖人と死者/ユダヤ教イスラム教の墓廟/聖人と祖先/比較と結論

 

 内容は500年〜1500年、つまり古代末期から宗教改革期までのヨーロッパ全体の聖人崇敬を扱っている。構成は大きく2部に分かれており、前半は時間軸にそった聖人崇敬の展開を扱う。聖人が殉教者と同義語であった初期教会に始まり、その定義が次第に拡大されて聖職者・修道者、さらには俗人も聖人と見なされるようになる中で教皇が認定権を一元的に握ったものの、宗教改革を経て、プロテスタントにとっては否定すべき対象へ転じた過程がコンパクトにまとめられている。後半はテーマごとに年代・地域の特徴とその変遷を論じているが、目次を見ればわかる通り、聖人崇敬の研究で取り上げられる話題は一通り網羅している。ビザンツへの言及が部分的で、イングランドへの言及がやや多いが、非常にバランスがよい記述といえよう。さらに、具体的な聖人のエピソードが豊富に紹介されているため、研究テーマを絞り切れていない人にとっても大きな助けとなるはずだ。総ページ数が800頁弱もあるわりに、序論と結論が数頁とあっさりしていることが示す通り、オリジナルの見解を打ち出す本ではなく教科書として書かれている。それでも、地名・人名に始まり、ものの見方・考え方に至るあらゆる分野で聖人が中世社会にどれほど深く根付いていたかが読み取れる。

 近年の文献でも概説書として注に挙げられるのをよく目にするようになっているし、キリスト教を扱ったムック本や怪しい本を何冊も読むよりもよほど勉強になる。欲をいえば、ぜひ翻訳してほしい。

 

研究入門:教皇列聖について知るには

 西洋中世史を学ぶために宗教関係の知識は不可欠だが、多くの場合は聖人崇敬が関わってくる。中世は13世紀頃までは聖人認定のシステムが確立していなかったため、大きく分けると「教皇に聖人として公布された聖人」と「教皇から承認をえていないが聖人として崇敬されている聖人」が共存する状態にあった。当時の人々が教皇による列聖をどれほど重視していたかは時代によっても地域によっても異なるが、現代の研究者にとっては関連史料の残存量を左右する大問題となる。当然ながら審問史料が残るために教皇列聖された人物の方が史料が多い。また、中間的な存在として「何度も審問が行われたが列聖が実現しなかった人物」という悩ましいカテゴリもある。

 

 どの聖人の崇敬を研究するにしても、該当する聖人と教皇庁の関わりを知ることは第一歩となる。そのため、個別の聖人崇敬研究における教皇の存在はよく取り上げられるが、反対に教皇から見た聖人崇敬や列聖制度を扱う研究はそれほど多くない。これは、中世に教皇庁というシステム自体が形成過程にあり、列聖審問が地域の聖職者の協力のもとで教皇庁の所在地から離れた崇敬の現地で開催された、という2点が影響していると考えられる。つまり、基礎文献をきちんと押さえておく必要があるが、その数はそれほど多くないということだ。ここではバラクロウ、シンメルペニッヒといった日本語で読めるものは外し、外国語文献で入門書となるものをいくつか挙げる。

 

教皇列聖の理念について

E. W. Kemp, Canonization and Authority in the Western Church, London, 1948.

 古典。分かりやすく、それほど長くもないので、教皇が列聖に関わることでどのように自らの権威を上昇させようとしたか知りたい場合は最初に読むとよい。

 

D. S. Prudlo, Certain Sainthood: Canonization and the Origins of Papal Infallibility in the Medieval Church, Ithaca, 2015.

 こちらは新しいもの。主に思想面から審問制度を足がかりに教皇の無謬性理論が登場した背景がわかる。ただし、扱われるのがヨハネス22世までなので、それ以降についてはわからない。

 

 

・法制度としての列聖審問

T. Wetzstein, Heilige vor Gericht: Das Kanonizationsverfahren im europäischen Spätmittelalter, Köln, 2004.

 制度面の発展を知りたいならばこちらを。基本的な仕組みは14世紀カンティリュープのトマスの列聖で完成したとされ、それ以降に焦点が当てられている。

 

 

教皇列聖された聖人たち

A. Vauchez, La sainteté en Occident aux derniers siècles du Moyen Age, Roma, 1988.

 必読。各国語に翻訳されているので、自分のできる言語で。中世全体で教皇が列聖の権利を掌握することにより宗教性にどのような影響を及ぼしたのか、または及ぼそうとしたのかの全体像がつかめる。

 

 

・個別の聖人列聖との関連

O. Krafft, Papsturkunde und Heilsprechung: Die päpstlichen Kanonisationen vom Mittelalter bis zur Reformation. Ein Handbuch, Köln, 2005.

 辞書替わりに。各聖人の審問の経過と列聖勅書の概要が年代順にまとめられている。

 

その他に、過去の記事で取り上げた文献もある。

asamiura.hatenablog.com

【文献紹介】ヘートヴィヒ・リュッケライン『中世北ドイツの文書・教育・宗教』

Hedwig Röckelein, Schriftlandschaften, Bildungslandschaften und religiöse Landschaften des Mittelalters in Norddeutschland (Wolfenbüttler Hefte 33), Wiesbaden, 2015.

 

 著者のRöckeleinはドイツ、ゲッティンゲン大学中世史の教授でGermania Sacraの編集などにも携わっている著名な研究者。この本は専門書というより、北の方という、中世ドイツでも研究が少ない地域を知るための入門書だ。Norddeutschlandという単語が指す地域はとても曖昧で、フォアポメルンのような本当に北から、ザクセンのようなどちらかという東、そしてテューリンゲンのような中部地域までをカバーしている。最近目にする頻度が増えたような気がする語だが、「ライン流域の西ではなく、バイエルンの南でもない地域」と消去法で考えてもいいかもしれない。この地域の中世史がドイツでもどれほど研究上の死角であったかは、注がない本であるにもかかわらず、Historische Zeitschriftの書評でGablliera Signoriが絶賛するという状況が象徴している。

 

内容は次の通り。

1. 文書・知識・宗教

2. 9~11世紀の修道院・参事会・聖堂付属学校

3. 11, 12世紀の知的共同体の大変革

4. 12, 13世紀の新修道会:シトー会

5. 13, 14世紀の新たな修道会:托鉢修道会

6. 15世紀の修道院改革と中世の図書館における教育と伝承への影響

7. 教区聖職者と都市の学校、参事会学校、ラテン語学校、そして人文主義ギムナジウムと大学

8. 宗教ネットワーク・文化ネットワーク・社会ネットワーク

 

 12世紀頃まではハインリヒ獅子公の宮廷や帝国修道院を見ればわかる通り、政治的にも影響力を維持し、かなり繁栄した地域だったといえる。ただ、聖職者の文化的貢献という点ではあまり強調されることがない。初期中世に教会改革の中心となったヒルザウやゴルツェとは物理的に遠く、運動として伝播するには数十年単位で時間がかかった。また、この地域におけるキリスト教布教の拠点だったマクデブルク大司教も、知的活動という面では影が薄い。

 変化が起こるのは、12世紀頃になってヒルデスハイム司教にパリ大学で勉強した人材が登用されるようになってからである。ペトルス・カントルのような最先端の知識人と個人的につながることで、新しい知識が流れ込んでくる。また、サン・ヴィクトル学派の影響も大きかったようだ。14世紀頃にはマイスター・エックハルトもいたように、エアフルト周辺に神秘主義者の一大サークルが登場した。

 しかし、15世紀になると地域での囲い込みが始まる。ブルスフェルトやヴィンデスハイムといった修道院に始まる厳修運動によって、改革を導入した修道院間で地域的なネットワークが形成された。この傾向に拍車をかけたのが俗人君主による大学創設で、俗語で教育を受けて地方の官吏となる人材育成を目的としたために、他地域との人的交流が減少し、知的にも切り離された状態となっていった。

 

 北ドイツの中世史研究が進みにくかったのは、いくつが原因がある。恐らく最大のものが史料状況の悪さで、宗教改革第二次世界大戦での爆撃による破壊に加え、すでに15世紀の厳修運動の時点で規範に沿っていないと見なされた文書は破棄されていたようだ。あと、本書では触れられていないが、旧東ドイツ地域だったことも大きいだろう。

映画:「ねじれた家」

 映画「ねじれた家」がミステリーチャンネルで放送されていたため視聴。原作はアガサ・クリスティの同名作品、監督ジル・パケ=ブレネール、主演グレン・クローズ、製作は2017年。


アガサ・クリスティーの世界/映画『アガサ・クリスティー ねじれた家』特別映像

 

 あらすじ。元外交官で現在は私立探偵チャールズ・ヘイワードは以前の恋人ソフィア・レオニデスから依頼を受ける。大富豪だった祖父、アリスティド・レオニデスの急死に不審を抱き、真相を解明してほしいというのだ。それに応じてレオニデス一族が住む「ねじれた家」を訪れるチャールズだが、強烈な性格の住人たちは誰もが怪しく見えて・・・。

 

 結論から言うと、原作がクリスティでも映画はまったくの別物で、オープンエンドの恋愛映画である。なので、ミステリーが好きで「クリスティの最高傑作」の呼び文句に魅かれて見る人はがっかりするかもしれない。

 私がこのように判断した最大の理由は、映画版では事件と平行して、原作とは異なる過去の2人の恋愛がフラッシュバックで挿入され、チャールズとソフィアの関係性が強調されているからだ。だから、2人がなぜ「元恋人」という微妙な関係になったのかはよくわかるのだが、最後は映画自体が唐突に終わるため、これからどうなるのかはまったく予想がつかない。

 

 先のことがわからない幕切れは、この映画のミステリーとしての側面に決定的な影響を与えている。私が読む限り、通常、クリスティは1つの作品の中で同じ事件を3回、異なる角度から語り直す。

1. 事件そのもの。基本的には進行中の出来事なので、探偵は試行錯誤を繰り返す。

2. 謎解き。ポアロのように、関係者全員を集めて事件の背景から犯人の逮捕までが同じ場所で行われるのが典型。

3. オチ。事件が関係者にどのような影響を与えたのかが語られる。

その観点から見ると、この映画には3がない。これが大きな問題なのは、事件の犯人が誰とされるのかのヒントが得られないからである(犯人が誰かについては、疑問の余地はない)。「ねじれた家」には真犯人とそれをかばおうとする人物が登場するので、あくまで真相を公表して大騒ぎを巻き起こすのか、曖昧な決着をつけるのか、探偵が決断しなければならない。しかし、映画では探偵役のチャールズとソフィアの関係にはっきりとした結論を出さないことにしたために、一連の事件の意味付けも消滅する羽目になってしまった。すると、ストーリー全体では単に謎を解いただけであり、ある種の試練を経たことで大人になるはずの登場人物が成長したのか、観客にはよくわからない。

 もちろん、ミステリーは成長譚ではないので、最後の点は不要ともいえる。しかし、クリスティは事件による心理的な変化を描くのがきわめて巧みな作家であるため、見る方としては無意識に期待してしまい、映画が中途半端に終わった印象を持つことになる。

 

 これは脚本のジュリアン・フェロウズの書き方に問題があると思う。フェロウズは「ゴスフォード・パーク」でアカデミー脚本賞を取っており、「ねじれた家」も家族同士がいがみ合う場面などはえげつなくてよいのだが、ミステリーは苦手に見える。その最たるものがドラマ「ダウントン・アビー」のベイツだ。私はこのドラマの後半が苦手なのだが、その理由はグランサム伯爵の従者ベイツは殺人事件に巻き込まれたり、刑務所に入ったりしているが、あまり懲りた様子がなく、大抵はそのつけを払ってひどい目にあうのがパートナーのアンナだということにある。なのでフェロウズはアンナが嫌いなのかと思っていたのだが、「ねじれた家」を見る限りは別の原因もあるようだ。

【文献紹介】エラ・ジョンソン『これはわたしの体である:ヘルフタの大ゲルトルートの著作における聖体の神学と人類学』

Ella Johnson, This is My Body: Eucharistic Theology and Anthropology in the Writings of Gertrude the Great of Helfta, Collegeville, 2020.

 

 

 著者のエラ・ジョンソンはアメリカ合衆国アイオワ州のセント・アンブローズ大学神学部の准教授。西洋中世のキリスト教神学とジェンダーを研究テーマとしており、中でもヘルフタのゲルトルートについて多くの業績を発表している。

 

 ヘルフタ修道院には幻視で有名な3人の女性著作者がいる。本書はヘルフタのゲルトルート(1256~1301/02年)に焦点をあて、そこで描かれる聖体について考察する。ゲルトルートについては、もっとも新しい研究の1つ。

 ゲルトルートの著作としては『神の愛の使者』が有名だが、全5巻のうち本人が書いたのは第2巻のみであり、残りの4巻は単数もしくは複数の無名修道女の手になることが判明している。史料として『神の愛の使者』を分析する場合、第2巻のみが対象となることが多かったが、2000年代以降の研究者は以下のどちらかのアプローチを採用することになる。

① ゲルトルート自身の神学に焦点を当て、『神の愛の使者』第2巻ともう一つの真筆である『霊的修養』を横断的に論じる

②『神の愛の使者』にある記述のぶれに着目し、「ヘルフタ修道院」という共同体内で言説が形成されていった過程を読み解く

 この本は1のアプローチを取り、『神の愛の使者』と『霊的修養』で聖体がどのように描かれているかを検証する。

 

 内容は次の通り。

1.ヘルフタのゲルトルートとその著作

2.ヘルフタ修道院

3.霊的感覚をめぐるゲルトルートの教義

4.「わたしの記念としてこのように行いなさい」:儀礼、想起、読書

5.「これはわたしの体である」:人性と神性の象徴としての女性

6.文脈の中のゲルトルート:二元論に固定された差異への挑戦

 

 最初の2章は、現段階の北米におけるヘルフタ研究の最前線がコンパクトにまとめられて有益。3章以降が本格的なゲルトルート研究となる。

 全体的な主張としては、バイナムやニューマンらの1970年代からの業績を引き継ぎ、ゲルトルートがキリストの人性をめぐる理論をどのように作り上げていったかをさらに詳しく検討している。それによると、ゲルトルートはオリゲネス、アウグスティヌス、ベルナール、サン・ヴィクトル学派の影響を強く受けている。その中でゲルトルートは神性・人性、男性・女性といった二項対立の図式を解体し、女性が神学に関与する機会を作り出した。例えば、キリストの心臓である聖心崇敬においてはイエスと自分の心臓を交換する幻視を見ることで文字通り一体化し、人性(もしくは身体性)を通じての救済が可能であると論じた。これは、身体の上位に霊が置かれてきた価値観にあっては、革新的な考えとなる。

 ジョンソンの指摘で新しいものとしては、

・人称の詳細な分析から読み解くジェンダー概念。ヘルフタの女性たちが、中世で一般的なジェンダーロールに縛られていなかった点はしばしば指摘されている。ジョンソンによると、ゲルトルートは場面に応じて自らを女性と男性(もしくは聖職者に近い存在)、両方に書き分けている。キリストが女性として描かれるだけではなく、女性が男性を自称することをはっきり論じている研究は珍しい。

・サン・ヴィクトル学派の影響の指摘。作品内の引用に誤りがあったり(ユーグとリシャールの取り違え)、サン・ヴィクトル学派自体についての研究がそれほど進んでいないこともあり、ヘルフタでの受容についてはあまりわかっていない。しかし、従来の研究に比べると、この点が重視されている。

 

 神学面でのアップデートを知るには有益。ただ、歴史学での修道院研究の成果はそれほど反映されていない。近年の歴史研究によると、女子修道院はこれまで考えられていたほど閉鎖性が高くなかったようなので、「社会と完全に没交渉だったことによるジェンダーへの無知」という前提がどこまで通用するのか、再検討が必要だろう。

『西洋中世研究』に寄稿しました

 『西洋中世研究』第12号に投稿論文が掲載されました。

「呪詛ではなく祝福をーマンスフェルト伯家と家門修道院ヘルフタに見る13世紀末の紛争と和解ー」2020年、128-143頁

 

 ヘルフタ修道院神秘主義で有名なシトー会女子修道院です。この修道院で作成された証書集、キュリアクス・シュパンゲンベルクの年代記神秘主義テクストの3つにあるマンスフェルト伯関連の記述を横断的に検証する、というわりと無謀な試みです。そのための具体的事例として、伯の一族によるある襲撃事件に焦点をあてました。

 ヘルフタはあまりにも幻視で知られているため、浮世離れした女性たちの集団として描かれがちですが、なかなか手ごわいところもあります。今になって紛争解決研究?と思われる方もいるかもしれませんが、これによってパトロン家門と戦う女子修道院という、あまり知られることのなかった一面を知っていただけるとうれしいです。

 

 

西洋中世研究 第12号

西洋中世研究 第12号

  • 発売日: 2020/12/17
  • メディア: 単行本
 

 

 ところで、今年は届くのがものすごく早くて驚きました。これから読みます。

『「聖女」の誕生ーテューリンゲンの聖エリーザベトの列聖と崇敬ー』の読み方

 友人から「買ったけれど難しい」という感想をもらったので、聖エリーザベト紹介を中断して、この本の読み方を提案します。

 この本は、私が中央大学に2012年に提出した博士論文「聖人伝と聖人崇敬から見る13世紀ーテューリンゲンの聖エリーザベトをめぐってー」をもとにしており、歴史学の分野で求められる作法にのっとって書かれています。そのため、西洋中世の概説書や入門書の次にこの本を読む人には、小説ではないので無理に前から順番に読む必要はない、と声を大にして言いたいです。そもそも、各章は独立した論文として投稿したものを土台にしているので、興味がある章だけ読んでも何とかなる、と思います。

 

 それでも本という形をとっている以上、抑えておく方がよいポイントもあります。以下、その解説です。

・はじめに、序章

 ここは最初に読む方がよい箇所です。当時の時代背景や基本的な用語の説明があるので、ここを飛ばすと全体の印象が曖昧になります。

・第1章

 難関です。この章で行っているのは論の信頼性を示すために学術論文では不可欠な手続きですが、テューリンゲンの聖エリーザベトについて早く知りたい場合はまどろっこしく感じるでしょう。また、聖エリーザベトについて何か書きたい人にとってはお宝の情報満載ですが、そうではない場合は必要な箇所だけ読めば十分です。重要度を具体的に示すと、次のようになります。

1.聖エリーザベト略伝 ★★★

 メインテーマと直結するので、ここを読まないとどの章を読んでも話が捉えられません。逆に、ここだけ読めば次の章に進んでもよいです。

2.聖エリーザベト崇敬の拡大 ★★

 後での崇敬の広まりを扱っています。口絵の写真で興味をもったものがあれば、読んでみてください。

3.史料について ★

 この本で使う史料を年代順に整理、紹介した部分なので、何のために読むかによって、最も評価が分かれるところです。通常は見出しだけチェックして、後の章で出てきた気になった箇所を読んでみることをお勧めします。

4.聖人伝 ★

 史料の続きです。こちらも気になったものがあれば、辞書のように使ってください。

5. 先行研究と問題点 ★★

 この本で論じる問題設定を具体的に示しているので、できれば読んでほしいところです。先行研究で次々と研究者の名前が出てくるので混乱する、という場合は73頁以降だけでもよいと思います。

・第2〜6章

 本論部分です。前から順番にでも、好きなところからでも、自由にお読みください。

・終章

 結論です。先にこちらを読んで論の全体像をつかむこともできます。

・補遺

 本論で扱った崇敬が14世紀以降現代までどのように展開したか、概観します。口絵や図版で入れたものは、だいたいここで言及があります。

・年表

 主要な出来事が入っています。前後関係がつかめるまでは、参照する方がわかりやすいです。

・付録

 中世聖人伝の全訳です。これほどの分量があるものが聖書の典拠と註付き、しかも一般の書店で買える本として出版されるのは極めて珍しいことで、出版社の英断です。13世紀には女性の聖人伝が多く書かれ、聖人伝というジャンル自体に転換点をもたらしたのですが、それらの作品に関しては史料・研究文献ともに日本語ではほとんど読むことができません。この点でも貴重な機会なので、ぜひお読みください。卒論などで史料が必要な方もどうぞ。