Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

【文献紹介】ヘートヴィヒ・リュッケライン『中世北ドイツの文書・教育・宗教』

Hedwig Röckelein, Schriftlandschaften, Bildungslandschaften und religiöse Landschaften des Mittelalters in Norddeutschland (Wolfenbüttler Hefte 33), Wiesbaden, 2015.

 

 著者のRöckeleinはドイツ、ゲッティンゲン大学中世史の教授でGermania Sacraの編集などにも携わっている著名な研究者。この本は専門書というより、北の方という、中世ドイツでも研究が少ない地域を知るための入門書だ。Norddeutschlandという単語が指す地域はとても曖昧で、フォアポメルンのような本当に北から、ザクセンのようなどちらかという東、そしてテューリンゲンのような中部地域までをカバーしている。最近目にする頻度が増えたような気がする語だが、「ライン流域の西ではなく、バイエルンの南でもない地域」と消去法で考えてもいいかもしれない。この地域の中世史がドイツでもどれほど研究上の死角であったかは、注がない本であるにもかかわらず、Historische Zeitschriftの書評でGablliera Signoriが絶賛するという状況が象徴している。

 

内容は次の通り。

1. 文書・知識・宗教

2. 9~11世紀の修道院・参事会・聖堂付属学校

3. 11, 12世紀の知的共同体の大変革

4. 12, 13世紀の新修道会:シトー会

5. 13, 14世紀の新たな修道会:托鉢修道会

6. 15世紀の修道院改革と中世の図書館における教育と伝承への影響

7. 教区聖職者と都市の学校、参事会学校、ラテン語学校、そして人文主義ギムナジウムと大学

8. 宗教ネットワーク・文化ネットワーク・社会ネットワーク

 

 12世紀頃まではハインリヒ獅子公の宮廷や帝国修道院を見ればわかる通り、政治的にも影響力を維持し、かなり繁栄した地域だったといえる。ただ、聖職者の文化的貢献という点ではあまり強調されることがない。初期中世に教会改革の中心となったヒルザウやゴルツェとは物理的に遠く、運動として伝播するには数十年単位で時間がかかった。また、この地域におけるキリスト教布教の拠点だったマクデブルク大司教も、知的活動という面では影が薄い。

 変化が起こるのは、12世紀頃になってヒルデスハイム司教にパリ大学で勉強した人材が登用されるようになってからである。ペトルス・カントルのような最先端の知識人と個人的につながることで、新しい知識が流れ込んでくる。また、サン・ヴィクトル学派の影響も大きかったようだ。14世紀頃にはマイスター・エックハルトもいたように、エアフルト周辺に神秘主義者の一大サークルが登場した。

 しかし、15世紀になると地域での囲い込みが始まる。ブルスフェルトやヴィンデスハイムといった修道院に始まる厳修運動によって、改革を導入した修道院間で地域的なネットワークが形成された。この傾向に拍車をかけたのが俗人君主による大学創設で、俗語で教育を受けて地方の官吏となる人材育成を目的としたために、他地域との人的交流が減少し、知的にも切り離された状態となっていった。

 

 北ドイツの中世史研究が進みにくかったのは、いくつが原因がある。恐らく最大のものが史料状況の悪さで、宗教改革第二次世界大戦での爆撃による破壊に加え、すでに15世紀の厳修運動の時点で規範に沿っていないと見なされた文書は破棄されていたようだ。あと、本書では触れられていないが、旧東ドイツ地域だったことも大きいだろう。