Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

ビンゲンのヒルデガルト研究(2)

 前の投稿で指摘した通り、ヒルデガルト研究で日本と海外で進展度に大きな差がある。ここでは、ヒルデガルトについて知りたい人がまず読むべき本として、ブリル社の『ビンゲンのヒルデガルト必携』を挙げる。

 

Beverly Mayne Kienzle, Debra L. Staudt and Geroge Ferzoco, A Companion to Hildegard of Bingen (Brill’s Companions to the Christian Tradition: A Series of Handbooks and Reference Works on the Intellectual and Religious Life of Europe, 500-1800, vol. 45), Leiden, London, 2014.

 

Beverly Mayne Kienzle and Debra L. Stoudt, Introduction, 1-13

Franz J. Felten, What Do We Know about the Life of Jutta and Hildegard at Disibodenberg and Rupertsburg?, 15-38

Franz J. Felten, St. Disibod and the History of the Disibodenberg up to the Beginning of the 12th Century, 39-55

Constant J. Mews, Hildegard of Bingen and the Hirsau Reform in Germany 1080-1180, 57-83

Felix Heinzer, Unequal Twins: Visionary Attitude and Monastic Culture in Elisabeth of Schönau and Hildegard of Bingen, 85-108

Justin A. Stover, Hildegard, the Schools, and their Critics, 109-135

Beverly Mayne Keinzle, Travis A. Stevens, Intertextuality in Hildegard’s Works: Ezekiel and the Claim to Propheric Authority, 137-162

Tova Leigh-Choate, William T. Flynn and Margot E. Fassler, Hearing the Heavenly Syphony: An Overview of Hildegard’s Musical Oevre with Case Studies, 163-192

Tova Leigh-Choate, William T. Flynn and Margot E. Fassler, Hildegard as Musical Hagiographer: Engelberg, Stiftsbibliothek Ms. 103 and Her Songs for Saints Disibod and Ursula, 193-220

Susanne Ruge, The Theology of Repentance: Observations on the Liber vite meritorum, 221-248

Debra L. Stoudt, The Medical, the Magical, and the Miraculous in the Healing Arts of Hildegard of Bingen, 249-272

Michael Embach, Hildegard of Bingen (1098-1179): A History of Reception, 273-304

George Ferzoco, The Canonization and Doctorization of Hildegard of Bingen, 305-316

George Ferzoco, Notes on Hildegard’s “Unknown” Language and Writing, 317-322

Bibliography

Index

 

 イントロダクションにある通り、「海外のヒルデガルト研究」と一口に言っても一枚岩ではない。このテーマの場合ドイツ語圏と英語圏で研究関心にはかなり差があり、ドイツ語圏では修道制の歴史を背景に考察が進み、英語圏では歴史的文脈と切り離してトピックに集中する傾向がある。本書は両者が一冊の本にまとまっている点が画期的なのだが、これは研究の発展により双方が補完的な視点として互いを必要にするようになったことと、ドイツ語圏の研究者が英語での成果発表に積極的になったことが理由と考えられる。

 

 全論文には目を通していないので、注目した点をいくつか列挙しておく。

 前半部がヒルデガルトの歴史的位置づけ、後半が著作の分析を扱う。後者は神学のみにとどまらず、音楽や謎言語(ヒルデガルトが独自に創造した言語で、現在も未解読)まで網羅している。

 私は主に前半部に関心があるのだけれど、かなり広い時間と地域の枠組が設定されている。時間的にはディジボーデンベルク修道院創設期(正確な時期は不明)、地理的にはアルプス以北といったところか。これは12世紀が修道制改革の時代だったためで、背景にはコンスタブル『12世紀宗教改革』が描くさらに大きな流れが存在する。ライン流域に目を向けると、ヒルザウ修道院が重要となる。特に女子修道院改革の場合は、ここで書かれた『乙女の鏡Speculum virginum』が与えた影響を見極める必要がある。しかしこの問題を論じたMewsはヒルデガルトと『乙女の鏡』には直接的な影響が見られないと指摘し、独自の幻視体験を自らの権威の裏付けとした点に彼女の革新性を見出す。確かにヒルデガルトは他の著作者やテクストにもとづいて論じることがあまりないので、この時期の修道院改革について論じるならシェーナウのエリーザベトの方が題材として適切だろう。

 また、Ferzocoによるヒルデガルトの列聖審問に関する短い論考も興味深い。これによると、1227年以降にグレゴリウス9世の働きかけで審問が開始されたが、ディジボーデンベルク・ルペルツブルク両修道院が作成した審問記録で不備があまりにも多く、教皇に受け取られなかったという。ヒルデガルトの神学著作にパリ大神学者(おそらくオーセールのギヨーム)から正統性の保証を得るという手間をかけたにもかかわらず、教皇が指定した質問事項をきちんと守らなかったために列聖が21世紀まで持ち越しとなったのだ。このような理由による審問の停滞は珍しくなく、奇蹟が生じた状況や関係者について記録する書式を知る関係者がいるかどうかは列聖の実現を左右した。しかも、この時期は教皇が審問に細かく指示しはじめた直後なので実際に証人の審理を行う人々がその重要性を理解せず、実質的に崇敬が存在したために教皇による公布の必要性も低かったことが、このような状態を招いたと考えられる。