Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

ビンゲンのヒルデガルト研究 (1)

 ビンゲンのヒルデガルト(1098~1179)は女子修道院長、神秘家、著作家。ライン地方の貴族家門に生まれ、幼少期にベネディクト会修道院ディジボーデンベルクに奉献された。シュポンハイムのユッタと敬虔な生活を送っていたが、他の女性たちが集まって共同体に成長したためにルペルツブルクに女子修道院を創設し、指導者となった。

 幻視をもとに『スキヴィアス Scivias』『神の御業Liber divinorum operum』『生活の功徳Liber vitae meritorum』という神学三部作の他にも注解、書簡、医学書、自然論など多岐にわたる著作を残した。長く聖人と見なされていたが、正式な列聖は2012年ベネディクト16世による。女性初の教会博士でもある。

 

 ヒルデガルトは「中世で最も有名な女性」と言われるが、日本語で読める文献は史料、研究ともとても少ない。薬草論などは翻訳が出ているが、何よりもまず神学者なので神学書を見ないと全体像はわからないだろう。海外ではBeverly Mayne Kienzleによる説教研究を契機にヒルデガルト研究が急速に進展し、日本における理解との乖離が広がっている。全部を一度に扱うことはできないので、ここでは日本語文献とヒルデガルトの伝記を扱う。

 

 ヒルデガルトの概略を知るためには、まずこの論文がお勧め。

上條敏子「ビンゲンのヒルデガルト—女子修道院長の生涯と作品—」『三田史学』65号, 1996年、113-126頁。

 

 神学については、こちらの翻訳がある。

B.ニューマン(村本詔司訳)『ヒルデガルト・フォン・ビンゲン—女性的なるものの神学—』新水社、1999年(Barbara Newman, Sister of Wisdom: St. Hildegard’s Theology of the Feminine, Barkley, Los Angels, 1987.)。

 女性史のアプローチを中世神学に取り入れて論じた先駆的研究である。ヒルデガルトが神学に「女性的なもの」、身体性をどのように位置づけたかを論じる。ヒルデガルトのジェンダーへのアプローチは保守的で、伝統的な修道院神学にのっとって女性を劣った存在とする。その中で女性であるヒルデガルト自身が預言的に語ることを男性に対して権威づけなければならない、というパラドクスが常に存在する。受肉貞潔といった概念を論じる際、このパラドクスの中でヒルデガルトがどのようにバランスを維持したかを読み解いていく。

 このニューマンのアプローチは、同時代のヒルデガルトの生涯・伝記研究と密接に関連している。現在、ヒルデガルトの女性性を論じるときに最も注目されるのはマリア論になっている。

 

 12世紀末に書かれた『ヒルデガルト伝』は次の形のものが入手しやすい。

ゴットフリート修道士・テオーデリヒ修道士(井村宏次監訳・久保博嗣訳)『聖女ヒルデガルトの生涯』荒地出版社、1998年。

Vita Sanctae Hildegardis Virginis (Corpus Christianorum Continuatio Medievalis, 126), Klaes, Monika, Turnhout, 1993.

Anna Silvas (trans.), Jutta and Hildegard: the Biographical Sources (Medieval Women: Texts and Contexts, 1), Tournhout, 1999.

 上から日本語訳、ラテン語、英語訳である。解題がもっとも詳しいのは英語訳である。

 これは中世聖人伝なので、現代の伝記のようにそのまま読んでもヒルデガルトについてはわからない。また、作者が3人という極めて特殊な成立背景をもっている。ヒルデガルトはラテン語での執筆のため、男性修道士に書記として協力を得ていた。そのうちの1人、ゴトフリートが書いた未完成の伝記、ヒルデガルト自身による自伝をテオドリヒがまとめたのがこの作品である。そのため、3人のヒルデガルト像が混じり合い、混乱した印象を与える。この問題については、ニューマンが重複したイメージを丹念に分解する論文を書いている。

Barbara Newman, Hildegard and Her Hagiographers, in: Mooney, Catherine M. (ed.), Gendered Voices: Medieval Saints and Their Interpreters, Philadelphia, 1999, 16-34.

 

 なお、ヒルデガルトの生涯を映像化したものがいくつかある。最初のものはZDF「ドイツ史の偉人たち」第2シーズン。初の女性である。他の方に教えていただいたのだが、幻視の映像化を試みている点も注目されたようだ。(18分ぐらいから幻視の話が始まる)


Die Deutschen II 3v10 - Hildegard von Bingen und die Macht der Frauen

 

 もう一つは子ども向けに歴史を紹介する番組が作った音楽クリップ。人物と音楽が絶妙にマッチしていて、なかなか面白いものが多い(特にお勧めなのがカール大帝)。ここでは修道院を背景にヒルデガルトや修道女たちが歌い踊るのだが、こちらも細かい所まで作り込まれてレベルが高いできばえになっている。


Song Hildegard von Bingen | WDR