Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

【雑感】人はいつ餃子を食べるのか?

 テレ東で金曜日深夜に放送中のドラマ「きのう何食べた?」。一週間の癒しとして私も夢中になって見ている。先日放送の第10話は「浮気」がテーマで、前半のクライマックスは恋人シロさんの浮気を心配したケンジが感情を大爆発させた場面である。このシーンは大変すばらしく、シロさんが最後にケンジをなだめながら「餃子作るぞ」というのを聞きつつ、「やっぱりこういう時は餃子だよね・・・」とぼんやり思ったのだった。というのも、この時私の脳裏には羽海野チカ3月のライオン』第11巻、川本姉妹が家族を捨てた父親と決定的に決裂した後、泣きながら餃子を食べているページが浮かんでいたからだ。ドラマには餃子を食べるシーンがなかったのでそのままやり過ごしてしまったが、後になって疑問が湧いてきた。

 

 この疑問は大きく2つに分けられる。

1.「こういう時」とはどういう時か?

2.「餃子」というメニューに必然性はあるのか?

 

 1.は比較的簡単に答えられる。両方のマンガで、ストーリーにあきらかな共通点があるからだ。どちらでも、登場人物たちはこの直前に数年に一度、あるいは一生に数回といったレベルの極めて困難な試練を経験している。おそらく、身体的にもダメージを受けるほどの激情だ。では、「グルメ漫画」としても有名な両作品がどちらもこのような日の食事として餃子を選んだのは偶然なのか?

 

 2.の疑問に答えを出すにはメニューの特徴を考える必要がある。その際、水餃子か焼き餃子かという区別は重要ではない(「きのう何食べた?」は水餃子だったが、『3月のライオン』は焼き餃子だった)。まず言えるのは、餃子は必ず「温かいご飯」の部類に入る。追い詰められた時に温かいものを食べる効果は、これらの作品の中で繰り返し描かれる。そして「餃子は完全食」ともいう通り、ご飯を無理に炊く必要がなければ、おかずもほとんどいらない。一品で一食になるすぐれた献立だ。

 

 しかし最も大切なのは、どちらでも登場人物たちが冷凍食品や中食ではなく、自分でわざわざ餃子を作った点だ。自分で作れば具は好きなものを選べるし、分量も調整しやすく、残った分は冷凍できる。普段はこのような理由から自分で調理するが、「この日」が餃子になったのは共同作業しやすいからだろう。ドラマでシロさんはケンジに「手を洗ってこい」と言っており、2人がこの後一緒に料理するつもりだと示唆している。『3月のライオン』でも「一緒に」「みんなで包んで」とあり、川本姉妹と桐山が全員で餃子を作ったのはあきらかだ。つまり、危機を迎えた後に関係を修復し、より強固なものにするステップとして調理が組み込まれており、大人数で同じ作業ができる餃子は最適のメニューとなる。だからこそ、彼らは餃子を食べなければならなかったのだ。

 

 おそるべし、餃子の潜在能力。すき焼き、寿司、天ぷらよりも、ラーメンよりもすごい。