Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

ミランダ・カーター『アントニー・ブラント伝』

ミランダ・カーター(桑子利男訳)『アントニー・ブラント伝』中央公論社、2016年

 

 しばらく前に何度目のいわゆる「ケンブリッジ・スパイ」読書ブームが来ていたので読んだ。この本の直前にベン・マッキンタイアー『キム・フィルビー かくも親密な裏切り』も読んだので、しばらくはお腹一杯である。

 

 いわゆるスパイ物の評伝かと思って手を付けたのだが、かなり趣が異なった。それもそのはずで、ブラントはフィルビーやバージェストは違ってスパイとして活動した時期が比較的短かった上にコートールド美術研究所の所長を長く務めており、イギリスにおける美術研究の学問としての成立、現代美術の評価確立にも大きな影響を与えたからである。素朴なアマチュアリズムが支配していた美術鑑賞がどのようにして専門家の領域に組み込まれるようになったのか、第二次世界大戦によるヴァーブルク研究所のイギリス移転、ドイツ人研究者による教育などの経緯が詳しく述べられる。

 

 個人的には後者の美術研究に関する記述の方が興味深かった。またブラントがソ連との二重スパイだったことは1960年代には判明しており、イギリス政府が免責特権を与えていたにもかかわらず、サッチャー政権によってそれが暴露され、反知識人キャンペーンの一環に利用されたという指摘には衝撃を受けた。「知識が少なくなるほど、人は本能に頼るようになる」のをよしとする政治を手本にするのは望ましくないと思う。