Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

バーバラ・H・ローゼンワイン再考①

 近年、歴史学では注目を集めた書籍の翻訳がまとまって刊行されたこともあり、「感情史」が新しい研究分野として大きな注目を集めています。この分野の先駆的な研究者の一人がバーバラ・H・ローゼンワインです。ローゼンワインは2000年代後半から感情史に取り組み始めましたが、もともとは西洋中世史の研究者でした。しかし、中世史研究者としての業績を日本語で紹介したものはあまり見られません。なぜでしょうか。実は、この問は日本における西洋中世史研究の動向と密接に関連している、と私は考えています。

 

 話を2020年10月に2日間にわたって開催された西洋中世学会第12回大会から始めます。第1日目の最後に「問題提起」と題した短いセッションがありました。「若者の西洋中世離れ—通俗的西洋中世像と中等教育における西洋前近代の取り扱い—」というテーマで、日本の歴史教育における西洋中世がもつ存在意義の低下について現状把握を共有し、その原因と対策を考えるというものでした。学校教育での扱いを考えると、世界史の中でも西洋中世史はなぜ人気がないのか、とも言い換えられるでしょう。その時のディスカッションで最大の原因としてあげられたのが「マルクス主義史観の崩壊」でした。「中世社会=封建社会」という戦後一貫して存在した図式が消滅したことにより、中世史を学ぶ意義を見出す人が少なくなった、と考えている人が少なくないことがわかりました。

 しかし、今から振り返ると、この「問題提起」の答えの一部は2日目の大会シンポジウムにも潜んでいたように思えます。このシンポジウムのテーマは「中世における感情」で、一見したところ感情史そのものずばりです。しかし、報告者の顔ぶれを見ると哲学、音楽、文学、美術が専門で、歴史の専門家はいませんでした。シンポジウムの場合はテーマや時間により制約が多いため、歴史の報告者がいなかったこと自体はやむを得ない面もあります。それでも、「中世における感情」というテーマに関心をもって参加した研究者たち(特に中世以外の時代を専門とする)が抱いたはずの、ローゼンワインが打ち出したような感情共同体という観点に日本の西洋中世史研究者はどう応じているのか、という関心に答えられたのかは疑問が残ります。別の見方をすると、他分野の研究者から注目される絶好の機会だったシンポジウムで中世史研究者は存在感の発揮に失敗したのであり、これを繰り返せば関心を抱かれない状態になっても不思議はないでしょう。

 

 ここで、話をローゼンワインに戻します。西洋社会形成の根源にあるものとして中世における国家形成過程を解明し、その基盤にあった封建制を考察することは、太平洋戦争直後から日本の西洋中世史研究者にとっては最大の課題でした。1970年代から欧米の研究が人類学を始めとする多様な学術研究の成果を取り入れ始め、2000年代に入ると、封を媒介とした主従関係にもとづく身分制社会という従来の見方が限界を迎えたのは誰の目にも明らかでした。私自身は大学院に入ったばかりでしたが、くらくらしながら議論を聞いていたのを覚えています。ローゼンワインの著作がよく読まれていたのはこの時期です。

 封建制について私は専門家ではなく、またここで取り上げるにはあまりにも複雑な議論のため、具体的な展開は割愛します。ここで抑えておくべきは、それでも西洋中世に社会が存在した以上、何かが人間同士を結びつける機能を果たしていたと考えられたこと、その何かは封(つまり土地)のような静態的なものではなく動態的なものだと考えられたことです。これを捕捉するため、複数人の関係性が公のものとなるコミュニケーションに注目が集まりました。これが儀礼研究、紛争研究となっていくわけですが、その時に基本文献となっていたのがアルトホーフやローゼンワインでした。

 ゲルト・アルトホーフはドイツ、ミュンスター大学の教授でした。ドイツ王教皇、高位聖職者たちが宮廷の儀礼でどのように振る舞ったか、特に紛争を解決するために何を行ったのか検証し、中世初期ドイツの政治権力構造を読み解きました。アルトホーフの「政治史」を「政治文化史」へと拡大する、という路線が日本で受容されて根付いたことは、2020年に刊行された『論点・西洋史学』「西洋中世史の論点」にも読み取ることができます。この背景には彼が巨大プロジェクトを主導して成果をあげたのに加え、本人が来日したこともあるでしょう。同時に、アルトホーフが主に取り上げたコミュニケーションの場である宮廷への考察は、国制史を主要な着眼点として論じてきた日本の研究動向と相性がよかった点も指摘しておかなくてはなりません。

 一方のローゼンワインはシカゴ、ロヨラ大学の研究者で現在は名誉教授となっています。アルトホーフと異なり、フランスの修道院を研究対象としていました。修道院と周辺の在俗領主が境界線や徴税をめぐって争った際、どのようにして交渉し、地域社会の中で共存していたかを読み解く研究です。『聖ペテロの隣人であることークリュニーの所領がもつ社会的意味ー(To Be the Nighbor of Saint Peter: The Social Meaning of Cluny's Property)』(1989年)で注目されるようになりました。一連の修道院をめぐる紛争解決の研究から中世史における空間や共同体の形成過程への注目が発展していくことになるわけですが、ローゼンワイン自身は別の研究へと進みます。この新しい研究方針が明確になったのが、2006年の著作『初期中世における感情共同体(Emotional Communities in the Early Middle Ages)』でした。その後、『感情の諸世代ー情動の歴史600~1700年ー(Generations of Feeling: A History of Emotions 600-1700)』(2016年)、『怒りの人類史—ブッダからツイッターまで—(Anger: The Conflict History of am Emotion)』(2020年、邦訳あり)と感情史の研究が続きます。

 とはいえ、日本の西洋中世史研究者が最もよく読んだのはそれ以前の1999年の著作、『空間をめぐる交渉—初期中世ヨーロッパのイムニテに見る権力・抑制・特権—(Negotiating Space: Power, Restraint, and Privileges of Immunity in Early Medieval Europe)』でした。タイトルにある「イムニテ」とは以前の世界史教科書では「不入権」などと訳されていたもので、修道院のような教会関連施設を俗人領主の支配から切り離すためには不可欠であり、中世当時にはしばしば紛争の原因になると同時に、現代の研究者にとっては封建社会の核心に迫るテーマの一つとなりました。しかし、ローゼンワインがあまり読まれなくなった原因こそこの本にあるのではないか、というのが私の見立てです。なぜなら、この本は「最終章以外はすごい」というのが一般的な評価で、それ以降はローゼンワインの話を聞く頻度が激減したからです。当時、このような評価は日本だけではなかったようですが、「最後は読む必要なし」「助成金のために無理矢理ひねり出した章ではないか」といわれ、現に私が院ゼミでテキストとして読んだ際も最終章は飛ばしてしまいました。それでも一応目を通したのですが、何が書いてあったのかあまり覚えていませんし、感銘を受けた記憶もありません。たぶん、周りの評価に流されていたのでしょう。

 この『空間をめぐる交渉』を現在の視点から読み直してみたら何が見えてくるのでしょうか。ローゼンワインがこの本の後に感情史研究に進んで新しい分野を切り開いたことを考えると、接続部にあたる最終章について、2002年頃の私が著者の意図を適切に読み取れていなかったことは明らかです。封建制をめぐる議論の一環として捉えるのではなく、著者の意図に忠実に読み直すと、かつて見落としたものが見えてくるかもしれません。ここでようやく本題に辿りついたわけですが、既にあまりにも長くなってしまったので、本自体については項を改めて論じます。