Liber specialis lectionis

西洋中世の歴史、宗教、文化を中心とした読書日記

英国ロイヤル・オペラ「ファウスト」

 2019年9月12日、英国ロイヤル・オペラ来日公演の初日、グノー「ファウスト」を東京文化会館で見た。

 


英国ロイヤル・オペラ2019年日本公演「ファウスト」プロモーション映像

 

指揮:アントニオ・パッパーノ

演出:デイヴィッド・マクヴィカー

ファウスト:ヴィットリオ・グリゴーロ

メフィストフェレス:イルデブランド・ダルカンジェロ

マルグリート:レイチェル・ウィリス=ソレンセン

 

あらすじ:

 主人公ファウストは学者として成功したが自分の人生に満足できず、悪魔メフィストテレスに魂を売り渡して若返り、美しく敬虔な娘マルグリートと恋に落ちる。しかし5ヵ月後、ファウストは彼女のもとを去り、妊娠したマルグリートは決闘で兄をファウストに殺され、気が狂ってしまう。メフィストテレスはファウストをワルプスギスの夜の祝宴に招くが、ファウストはマルグリートを忘れられないため、彼女がいる牢獄へと連れて行く。マルグリートは子供を殺して次の朝処刑されることになっており、ファウストが逃亡を促しても従わず、悔恨のうちに亡くなり、救われる。

 

 この演目を見るのは初めてだが、舞台が第二帝政期パリ(グノーの同時代)に移されているのは演出によるものらしい。ファウストとマルグリートが初めて会う酒場やワルプルギスの夜の雰囲気とはよく調和していて、有効な読み替えだと思う。

 ヴィットリオ・グリゴーロとイルデブランド・ダルカンジェロが一度に聞けるという理由で、「オテロ」ではなく「ファウスト」にした。オーケストラとバレエも含め、素晴らしいパフォーマンスだった。

 母と一緒に行ったのだが、席が5階2列目で足が床につかず、大変不評だった。今度行くときはもっといい席を買うよう仰せつかったので、メモしておく。

 

 このオペラの土台には言わずと知れたゲーテの『ファウスト』があるわけだが、完全に別物として見た方がいいかもしれない。話の分量から考えても、『ファウスト』を3時間40分にまとめるのは困難だ。『ファウスト』は長い分、主人公の変遷を詳細に辿ることができるので読者の共感を得やすいのだろうが、正直なところ、オペラのファウストは「向いていない享楽に手を出した自分のことがわかっていない子」に見えた。(そこが「悲劇」の所以なのだろう。)

 後半、メフィストテレスはあの手この手で焚き付けてファウストを堕落させようとするのだが、ほとんどが中途半端でうまくいかない。自分から去ったはずのマルグリートの家の前に行き、彼女の兄に見つかって決闘する羽目になるなど、ファウストはダメダメだ。あまりのダメぶりに、契約相手を間違えたメフィストテレスがかわいそうになる。(もっとも、メフィストテレスは悪魔なので超然としていて、「今回はしくじったかな」くらいなのかもしれない。)

 それに対し、マルグリートは比較的一貫している。宝石にクラクラしたこと、ファウストを部屋に入れたことという二点を除けば、妊娠し、ファウストに捨てられ、兄とメフィストフェレスに呪われ、近所の人に蔑まれても、信仰を捨てることがないからだ。しかし、この扱いはひどすぎるのではないか?

 

 オペラには無垢で信心深く、主人公の救済のために全てを捧げるタイプのヒロインがいる。典型的なのがワーグナーで、「タンホイザー」や「さまよえるオランダ人」を見たけれど、私はどうしても好きになれなかった。いくら愛する人のためと言っても、喜んで死ぬなんて展開は嫌だ。全力で異議を唱えたい。

 「ファウスト」のマルグリートもこのタイプに分類されるのかと思ったが、天使が登場する最後の場面で考え直した。そこではマルグリートの遺体の上に天使が登場し、メフィストテレスは帽子を上げて自分の負けを認め、去っていく。つまり、「ファウスト」の世界は天使と悪魔が人間の魂を取り合う枠組みで作られており、ファウストもマリグリートも彼らの勝負の対象なのだ。メフィストテレスとマルグリートがファウストへの影響力を競う、という私が最初に考えた構造ではなかった。

 ・・・そう考えると、表立った天使の助けもなく、マルグリートはメフィストテレス相手に一人で奮闘し、最終的に勝利を収めたことになる。マルグリートに関してはファンファーレで終わってもいいくらいだ、と思いながら帰途についたのだった。